2011年7月 | 親の介護☆泣くな騒ぐな寿司食いネエ!

2011年7月

親の介護で仕事をやめる

2011年07月01日(金)

DIAMOND on line(2010年7月1日)に、『「嫁なき時代」に激増する“介護失業”独り身息子たちが悲鳴を上げる「オヤノコト問題」』という記事がありました。「親に万が一のことがあったとき、あなたは仕事を取りますか、それとも介護を取りますか。」という副題がつけられています。総務省の調査によると2006年10月~翌年9月までに介護で離職、転職した人は9年前の約2倍に急増しているのだそうです。アンケート調査では、親の介護が必要になった場合、29%が勤務時間を短縮させてもらう、15%が自分以外の家族に任せる、13%が退職して介護に専念する、9%が介護も可能な他の会社へ転職する、7%が在宅勤務などに切り替えてもらうという結果になっています。すごいですねえ、介護のために自分の人生を・・・と、正直なところ思いました。

晩婚化、非婚化の影響で介護退職者が増え続けているらしいのですが、「仕事」「介護」「家事」が3つ同時に降りかかれば、確かに仕事を続けることは難しいと思います。特に娘の場合は「お母さんは私がいなきゃダメだから」と思いこみ、看病することに自分の存在意義を見出そうとするため、施設を利用するように周囲が勧めても耳を貸さず、挙句、心身ともに疲れ果ててしまうのだとか。特に仲の良かった母親の場合、要介護状態になっても「いい娘」を演じ続け、過剰に頑張ってしまうそうですが、私も母と仲が良いわけではありませんでしたが、確かに「いい娘」を演じようとしていたような気がします。心のどこかで「嘘をついているよなあ」と思いながら・・・。息子はどうかというと「恩返し介護」なんだそうです。親にお返しをしたいといって熱心に世話をする息子が多い(ホントですかね、これ??)。その挙句、仕事と介護の両立できずに「介護失業」、生活保護受給者になる人もいるそうです。

「親を捨てて仕事を取れば悔いが残るかもしれないが、かといって、仕事を捨てて親を取れば自分が立ち直れなくなってしまう。では、どう両者のバランスを取り、どんなスタンスで介護ライフに臨むのか。それは自分次第だ。」と、この文章は結んでいますが、介護をしている時、あるいは介護に直面した時に「介護ライフ」なんていうカッコイイ言葉で、自分の人生を考える余裕なんてありますかねえ・・・。社会福祉士という立場から考えると、この記事の結論は教科書どおりの模範的回答だと思いますが、でもね、「介護ライフ」あるいは「自分次第」という言葉は助言者の逃げなのではないでしょうか。実際の介護現場というのはドロドロで教科書どおりにはいきません。「自分次第」という言い方は「自己責任」という言葉ともたぶんに通じていると思うのですが、それは助言者としては無責任かなあという気がしないでもありません。

社会福祉学科で学ぶ人たち

2011年07月05日(火)

大学の社会福祉学科には3年次編入をしました。母の介護をしながら通学するのはとても無理でしたから、通信教育過程を選びました。通信教育で勉強するのは孤独との戦い・・・だから途中でやめてしまう人がとても多いという話を聞いていたのですが、入学してみるとそんなことはまったくなく、孤独どころか、一人で学ぶことが楽しくて仕方ありませんでした。定期的にレポートを提出するのですが、そのための調べものは母の介護を忘れさせてくれるもので、現実からの逃避という意味では「趣味」や「娯楽」に近かったようにも思います。大変だったのはスクーリングです。一週間は家を空けなければならず、その間母を福祉施設に預けて出かけました。これは何回も繰り返しますが「本末転倒」・・・。介護という現実から逃れることができて、むしろ嬉々としていた自分に嫌悪感&罪悪感。

スクーリングではいろいろな出会いがありました。社会福祉学科には、将来福祉の仕事をしたいと思っている方たちがたくさん来ていましたが、私が友達になった人の多くは、私同様介護の真っ只中にいる人、あるいは介護で苦しんだ経験を持った人たちでした。なんの授業だったか忘れてしまったのですが、ある教授の言った言葉を今でもはっきり覚えています。「社会福祉学科を専攻する人というのは、身の回りになにかしら問題を抱えている人が多いんですよね」。介護のみならずうつ病に苦しんだ経験があったり、身内に障害者を抱えていたりという、重い実体験が福祉の道を選ばせるのだそうです。そうかもしれません・・・確かに、何かしら事情を抱えていた人が多いように感じました。

娘に介護される親は幸せ者?

2011年07月06日(水)

昨日(7月5日)、産経ニュースに『「要介護の母の将来を悲観」と実母を殺害 容疑で娘を逮捕』という記事がありました。45歳の会社員の男性宅で、妻である44歳の女性が実母を首を絞めて殺してしまったという内容です。要介護の母親の将来を悲観してのことだったと供述しているようですが、こういう記事を読むと、ここに至るまでの家の中の様子がなんとなく目に浮かび、心がすっかり重くなってしまいます。

娘の家で介護されている母親は恵まれている・・・そう思っている方が世間には多いようですが、私の体験から言えば、娘の家であっても母親にとっては他人(夫)の家。自分の家で介護してもらっている時とは違い、やはりかなり遠慮してしまっていたように思います。娘は娘で、どれほど理解のある優しい夫であっても、夫に対して遠慮してしまう気持ちが働きます。その心の葛藤って結構大変なんですよ。母親の存在そのものを否定したくなってしまうこともありました。なんていう娘だろうと自分をずいぶん責めましたが、やはり実母を引き取って介護していた友人にその気持ちを話すと、「私も夫と母親の間で苦しくなり、早く母がいなくなればいいのにと思うことがあった」と。すっと肩の荷が降りたような思いがしました。もちろん、ほんの一瞬であってもそう思ってしまったことに対する罪悪感、後悔はいまだに背中に重くのしかかっていますが。

介護する人にかける言葉

2011年07月07日(木)

親の介護をしている友人や知人に対し、あなたならどのような言葉がけをしてあげますか?「親孝行ね」「親の介護ができるなんて幸せね」「がんばって」「死んで欲しいと思うなんて、罰が当るわよ」「いつまでも長生きしてくれるといいわね」「大切にしてあげなくちゃだめよ」・・・こんな感じでしょうか?どれも私が実際にかけられた言葉です。親切心からくる温かい言葉ばかりですし、介護している娘への労わりの言葉でもあるのは十分にわかっていたつもりでしたが、介護している身には、このどれもが思いもかけず重荷になっていました。

親孝行をしているつもりだったのにもう限界なのよ・・・親の介護はもういや、解放されたいの・・・がんばるって、いつまでがんばればいいの?・・・死んで欲しいって、時々そう思ってしまう自分が嫌になっているのに・・・このままの状態で長生き?・・・大切にしたいけれど、時々イヤになって逃げたくなるの・・・。心の中はそんな反論でいっぱいになってしまっていました。

福祉では「援助技術」を勉強します。苦しんでいる人の感情にどう沿えばいいか、どう手助けをしていくか、そういう技術を学ぶ学問です。教科書には、苦しい胸の内を吐露するクライエントに対しては、意見をしたり自分の考えを述べたりしないで、むしろ鸚鵡返しを繰り返すほうが良いと書かれていました。「苦しい」と訴えられたら「そう、苦しいですよね」、「死にたい」と言われたら「死にたいのですか、辛いですね」といった感じです。へたに励まされるより、あるいは親孝行をお説教されるより、確かにこのほうがずっとずっと気が楽になるかもわかりません。介護者の心理は介護した人にしかわからない、そんな気もします。

感謝の気持ちがあれば

2011年07月10日(日)

人って、いろいろな性格がありますよね。私の友人の母親はなにかにつけて「ありがたいありがたい」と、いつも口癖のように言っていたそうです。80何歳かで亡くなられたのですが、その前の数年は認知症で娘の顔もわからない状態でした。実家は九州、友人は関東に住んでいます。お姉さんが介護をしていたのですが、「ありがたい」という言葉のおかげで、家族ばかりか施設の職員からも慕われ、幸せな晩年を送ったようでした。友人がたまに実家に帰るとそのたびごとに、「どちらさまか存じ上げませんが、親切にしてくださってありがとうございます」と言われたとかで、「誰でもかまわず感謝しちゃうのね」と苦笑していました。

母親を亡くされて後、友人はご主人のお母様、つまりお姑さんの介護をすることになりました。ところがこのお姑さん、彼女の母親とは正反対で不平不満ばかりを言うタイプだったのです。何をやっても感謝の言葉を口にしないどころか、なんでこうなのかと、友人をなじり文句を言うばかり。もちろん誰でも(たぶん)感謝の言葉が欲しくて介護をしているわけではありませんが、「ありがとう」の一言があれば、介護するほうもがんばろうという気持ちになれるといういものですよね。結局、友人はお姑さんに対して憎しみばかりが増し、最後にはわざわざ2階をお姑さんの部屋にして、1階にはそう簡単には降りられないという意地悪までしてしまったのだそうです。お姑さん亡き後、「私はなんていうことをしてしまったのだろう」と、泣いて私に訴えてきました。

そういう行動を取ってしまった気持ち・・・理解できないではありません。私の母も感謝をあまり口にしないタイプでしたから。でも、心の奥深くで、いつも私に感謝していたということを、母亡き後姉の口から聞いて、後悔では済まないほどの後悔の気持ちに苛まれました。友人と同じ苦しみを私も味わったのです。


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