2011年9月 | 親の介護☆泣くな騒ぐな寿司食いネエ!

2011年9月

男性の介護者が増えている

2011年09月01日(木)

今朝の東京新聞に、男性の介護者が急増しているという記事が掲載されていました。抜粋でわかりにくいかもわかりませんが、以下のような内容です。

「男性介護者、3割に 周囲の理解、支援必要」

認知症の家族がいる世帯で、男性介護者の割合が急増している。認知症の人と介護家族でつくる「認知症の人と家族の会」(本部京都市)の調査で、こんな傾向が浮き彫りになった。(中略)。男性が「主たる介護者」の割合は、81年8・2%、91年13・5%、99年18・6%と増え、2010年には32・2%に急増した。4分の3が夫で、4分の1が息子だった。同居家族の人数が急速に少なくなっているのが要因だ。認知症の人を含む家族を「2人」とする回答は91年にはゼロだったのに、10年には45・3%に増加。息子家族との同居が減り、息子の妻に介護してもらう人が少なくなる一方、高齢の配偶者や独身の子が一人で介護するケースが増えているとみられる。

(中略)調査で、在宅介護者に介護への思いを聞いたところ「介護を続けたくないが、続けるしかない」と、ストレスを抱えているとみられる回答が、夫は19・9%だったのに対し、息子は36・8%に及んだ。親が認知症で目が離せないため「仕事に出られない」と3割の息子が苦しみ、4分の1が「留守をみてくれる人がいない」と悩んでいた。(後略)

なんだか、男性陣の悲鳴が聞こえてきそうな記事です。主たる介護者の割合が3割強というのは驚きです。高齢化社会になったこと、結婚をしない人たちが増えていることがこうした現象を引き起こしているようですが、これまでは女性が一手に介護を引き受けてきたのですから、男性だって・・・という気がしないでもありません。

で、つい先日首相になった野田佳彦氏の奥様のことを、読売新聞はこんなふうに書いています。

(前略)・・・野田氏が96年10月の衆院選にわずか105票差で落選した頃も、仁実さんは地元の事務所でビラを折り畳み、支援者からの電話を受けるなど、浪人生活を支えたという。近所の主婦(78)は「政治家の奥さんという雰囲気はない。道ですれ違えば、普通にあいさつする飾りっ気がない人」という。家庭では母として医学生の長男(19)と、都内の高校に通う次男(16)を育てる。料理が得意で、クラシックやジャズの音楽をかけながら台所に立つ一方、ここ数年は脳梗塞で倒れた野田氏の父・義信さん(80)の介護もしてきた。

子供を育て、料理が得意で、夫の父親を介護して・・・この記事、私にはちょっと抵抗があります。親の介護をしている妻、それがあたかも「美徳」のように書かれているように思うのです。介護は女性の仕事ではないのです、妻の仕事ではないのです。もちろん男性の仕事でもありません。介護は性差を越えて家族で担うものなのだと思います。

ただ、家族ができる介護には残念ながら限界があります。「家族が担う」だけではなく「社会も担う」といったように、社会の意識も変えてゆく必要があるのです。親の介護をしているという野田首相、さて福祉に対する手腕はどんなものなのでしょう?

母を引き取るつもりが・・・

2011年09月02日(金)

姉が遅い結婚をして2年ぐらい経った頃だったでしょうか。ようやく生活も落ち着いてきたので、母を姉が引き取っても良いという話になりました。私はその当時、母の介護の先行きが見えないことからうつ状態になり、精神科に通ったりしてとても辛い時期を過ごしていましたから、さすがにその様子を見て、これは引き取ったほうが良いと思ったのではないでしょうか。

母を引き取ってくれれば心身ともにラクになりますから、それは嬉しい申し出でしたが、なにぶんにも姉の住むマンションは母を引き取るには手狭です。しかも、姉は当時仕事をしていましたから、介護が必要な母を一人マンションに残して仕事に出かけることになります。そんなこと、絶対に無理だよなあ。母を引き取りに来るというその日まで、姉に母を託してよいのだろうか、私が介護したほうが、姉夫婦にとっても母にとっても幸せなのではないだろうかと悶々とし、迷いに迷っていました。でももし母をこのまま介護し続けたら、きっと精神的に持たなくなる・・・。

姉が母を連れに来た日は雨降りでした。私は猫が好きで家の中でも飼っているのですが、その頃どこからともなく現れた三毛猫が庭に棲みつき、追い払うこともできないまま、結局避妊手術をして外猫として飼っていました。その三毛猫が、姉の来るのを待っていたかのように、その時間だけ玄関の軒先現れ、ちょんこらと座っていたのです。猫が好きな姉はその姿を見て同情しきり、「かわいそうねえ」と言うのです。すかさず「連れて帰る?」と聞くと「いいわよ」という返事。気が変わらないうちにと、さっさとキャリーバッグに猫を入れて姉に渡しました。

姉は、母ではなく三毛猫を連れ帰ったのです。私はなんだかほっとしたような、狐につままれたような気持ちでした。とても性格の良い猫だったので、里親さんを探していたのですが、まさか姉に貰われてゆくとは。しかも母の代わりに。母はその後亡くなるまで私と生活することになりました。

私はといえば・・・神的に追い詰められつつも、結局、なんとかなってしまったのですよね。

老いて一人で住む

2011年09月05日(月)

私の家のお隣に、今年80歳になるご婦人がお一人で住んでいます。ご主人はもう何年も前に亡くなられています。すぐ近くに娘さん一家が住んでいることもあって、寂しいという訴えを直接このご婦人から聞いたことはありませんが、最近ちょっと気にかかることがあります。それは、あれほど丁寧に手入れしていた庭が荒れてきていること、にぎやかな笑い声が毎日のように聞こえていたのに、家全体がシーンと静まりかえっていることです。老いがそのご婦人の身にヒシヒシと迫っていることを感じないわけにはいきません。

人間の体にはいくつかの節目があるんですね、母を見ていて感じたのは70歳、75歳、80歳、85歳がそうした節目でした。その年齢を迎えるたびに老いが重なり、衰えてゆくのがわかりました。それでも70歳はまだまだ若く、気力だけはなくなりつつあって、料理や掃除はさすがに億劫そうでしたが、体だけは元気で買い物などにもどんどん出かけていました。75歳の時には持病の心臓病が悪化し、救急車で運ばれた病院で医師から「明日、あさっての命」と宣告されたことがありました。80歳になると足腰がめっきり弱って杖が必要になり、新聞にもテレビにもあまり興味を示さなくなり、85歳になるとほとんど一日中寝てばかり、家族に対する反応も鈍くなって、認知症の症状を呈するようになりました。頻繁に転倒するようになったのもこの頃でした。

そんな母の様子を思い出しては、お隣のご婦人の老いを心配してしまうのです。80歳を越えて一人で暮らせるというのは、心にとても強い芯のある女性なのだと思います。もちろんお体も人一倍お元気なのでしょう。でも火の不始末や病気、事故を考えると、他人ながら、一人で生活するのはそろそろ限界なのではないかと心配になったりします。自立した高齢者でいること、それはとても素晴らしいことだとは思うのですが、やはり地域での見守りはどうしても必要でしょう。私もプライバシーを侵害しない程度に、そっと見守っていたいと思っています。

住み慣れた土地での親の介護

2011年09月07日(水)

台風12号の被害に遭われた皆様に、まずは心よりお見舞いを申し上げます。東日本大震災でダメージを受けたばかりなのに、今度は和歌山、奈良を初めとした広範囲に渡る地域で台風が猛威をふるい、たくさんの方の命が奪われました。どうなってしまったのでしょうね、日本・・・。きょうの新聞に、50代の男性が、90歳の母親を安全な場所に避難させようと高台にある知人宅に預けたところ、安全なはずの高台が土砂崩れに遭い、知人もろとも母親が行方不明になってしまったという記事がありました。男性の気持ちを思うと胸が詰まります。男性は独身で、90歳の母親と二人暮らしだったそうです。想像でしかありませんが、男ひとり、母親を大切に介護されていたのではないでしょうか。

大きな被害に遭った和歌山県新宮市では被災者の支援が始まったそうですが、この市では人口の30%が65歳以上の高齢者なのだとか。過疎化した土地に残されている高齢者・・・。こうした災害に遭った時、残された高齢者の方たちが避難するのは大変なことだと思います。もし最晩年の母が災害に遭って避難しなければならなくなっていたとしたら、自主的に逃げるなんてとても無理な話で、家の中で怯え、竦んでしまっている母の姿が見えるようです。

生まれた土地を離れたくないという親。その親を見守ろうと思ったら土地を離れるなんてとてもできません。その結果が「介護離婚」や「介護離職」につながってしまうのかもわかりません。もしそうなったら、親の介護のために自分が犠牲になってしまったという気持ちが少なからず働いてしまうのではないでしょうか。親の存在が自分の人生のネックになってしまっていると、たぶん私ならそう思ってしまうような気がします。私は幸い「介護離婚」「介護離職」という言葉のお世話にはならずに済みましたが、それでも親の存在を疎ましく思ったことがあるのですから。

他人には薄情な娘だと思われるかもわかりませんが、介護経験のある人の中には、こうした感情を持ってしまったという人が少なからずいるのですよね。それは親にとっても子にとっても不幸なことなのだと思います。親亡き後深く深く後悔するのですが、時すでに遅しなのです・・・。

思い出ごと介護する

2011年09月08日(木)

母は小さい頃の思い出をあまり語らない人でした。出生に複雑な事情があったこともあり、自分の境遇に触れたくなかったからなのかもしれません。料理をこまめに作りケーキをはじめお菓子もすべて手作り、洋服もすべて手作り、そんなふうに子供をそして家族をとても大切にしていましたが、時に感情的になり、そのむき出しの感情に子供が振り回されてしまうことがあったのは、生い立ちのせいだったという気もします。姉は、家族の本当の愛情を知らないで育ったから、私たちに対してもどうやって愛情を注げば良いのかわからなくなってしまうことがあったのではないかと言います。そんな気がします。

母を介護している間も、なんだか触れてはいけないことのように思えて母の生い立ちには一切触れずにいました。ほんとうは聞いてあげたほうがよかったのかもしれません。今はそう思います。過去の心の傷というのは、触れられることでさらに深くなることもありますが、逆に傷が癒されるということもあるからです。そのどちらになったかはわかりません。でも、心の奥底に辛い思い出をしまいこんで亡くなっていった母の心情を思うと、解放してあげるべきだったようにも思うのです。母の気持ちに寄り添ってあげるべきだったかなあと。介護という以上、身体的なことばかりではなく、心もまとめて介護してあげなければいけなかったんですよね。

それにしても・・・こんなことあんなこと、なぜ大切な人が生きている時に気づかないのでしょうね。母の介護の思い出を書いているといつもいつも、なぜもっと早くに、なぜ生きている時に・・・そう思ってばかりです。


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