2012年2月 | 親の介護☆泣くな騒ぐな寿司食いネエ!

2012年2月

親の介護に必要な家族の協力

2012年02月01日(水)

親を介護する時にどうしても必要なのは家族の理解と協力です。母を引き取って介護を始めたときに一番気になったのは「夫の気持ち」でした。優しい夫ですので、私のすることに対して反対することはありませんし、もちろん協力もしてくれるのですが、それだからこそ余計に気兼ねしてしまうところがありました。申し訳ないなあという気持ちがすごく働くのです。

夫の両親も当時は健在でしたから、私の母親を自宅に引き取ることにも抵抗がありました。現に夫の両親は、息子が嫁の家に取られてしまったという気持ちになったようです。養子に行ったようなものだ・・・ということを、夫の妹に話していたと後から耳にしました。夫の両親も、介護が必要になった時には私が面倒をみるつもりでいたのですが、その気持ちは最後まで通じなかったように思います。毎年お正月には行っていた夫の実家にも、次第に足が遠のいてゆきました。「娘さんの家で面倒をみてもらえるなんて幸せネ」と、友人や近所の方達は口をそろえてそう言っていましたが、娘も母も、実はちょっと肩身の狭い思いをしていたのです。

外国人の介護士

2012年02月04日(土)

毎日新聞に『介護を「開国」せよ!』という鳥越俊太郎さんの寄稿が掲載されていましたので、まずは全文転載させて頂きます。

私ごとで恐縮ですが、私の母は91歳。転倒、骨折、入院を繰り返すうちに見当識障害、意識障害などが表面化し認知症にも移行しました。加えて最近、上行結腸部にがんが見つかり、手術という話が現在進行中です。幸い近くに妹夫婦が住んでおり、ある程度の介護は可能ですが、施設入所中の母はやはり専門の介護関係者のお世話にならなければなりません。

私自身も来月72歳、いつ介護を必要とするか分からない、そんな水域に入ってきたなあという自覚があります。そういう心境の折、朝日新聞1月30日付夕刊にこんな見出しを発見しました。<高齢者4割 現役5割 50年後推計 高齢化率 世界で突出>

これは厚生労働省関連の研究所が公表した将来推計人口の数字です。高齢者が増え現役世代が相対的に減少するということは、極論すれば、今後の日本では介護という仕事は減るということは絶対にありません。日本社会を支え維持していくうえで、介護という仕事(職業)は重要な課題となっていくはずです。しかし、厚労省は右手でそんな数字を公表しながら、左手でやっている介護に関する“ある事柄”は全く矛盾の極みと言ってもいいでしょう。私は正直なところ「怒り」さえ覚えます。日本の中央官庁の官僚(役人)には血の通った人間はいないのか、と。

先月29日、介護福祉士の国家試験が行われ、インドネシアとフィリピンの外国人95人が受験しました。この試験は日本人でも合格率が50%という超難関。受験資格は3年以上の実務経験が必要ですが、外国人の滞在は4年と決められているため、受験、つまりチャンスは1回だけです。両国との協定(EPA)で合わせて749人が介護士になるため来日していますが、試験に不合格なら日本退去の運命です。日本の若者だけでは介護の世界は支えられないのが現実です。官僚サン、考え直してください。

91歳の母親の介護をとおして、介護福祉士の問題点を書かれていて興味深いのですが、現実をご存知ないのかと、ちょっと気になりました。高齢化率が高くなり若者が減少している・・・というこの現象だけを見れば、確かに外国の方達にさらなるチャンスを与え、たくさんの方達が介護福祉士となって日本で働いてくれるようになれば、一定の問題解決にはなるかもしれません。

でも・・・鳥越さんは、日本でなぜ介護職につこうとする若者がいないのかということについてはたぶんご存知ないのだと思います。福祉の仕事では生活が成り立たないのです。求人広告のチラシを見てみると薬剤師が2,500円、その下に介護士の時給800円の文字が並んでいます。パートだから安い?違うんですね、正社員でも年収200万円台という介護士がたくさんいます。これでは志高く、福祉の仕事につきたいと思っても断念せざるをえません。

日本はなぜ外国人に資格を与えようとしているのでしょう。それは、安い賃金で働いてもらえるから・・・でもあるのです。海外から安い賃金で働く労働力をどんどん流入すれば、結果的に日本人の介護職者の就職を脅かし、労働条件の悪化にもつながります。介護の仕事につく若者を増やすためには、まず賃金の改善が必要であり、日本人の働き手が日本の福祉の現場で仕事をできる環境を整えることが、なによりも優先されるべきだと私は思います。

介護は求めに応じて

2012年02月06日(月)

きのうの昼間、近くのスーパーに行った帰りのことです。スーパーの屋外駐車場に戻るためには2車線の道路を渡らなければなりません。渡ろうと思って歩道まで行くと、歩道脇の道路にかがみ込んでいる男性の姿が見えました。作業服のようなものを着ていたので、草でも取っているのだろうと思って通り過ぎようとしたのですが、よく見ると倒れているのです。杖が横に落ちていて、動かない体を必死で動かして立ち上がろうとしているところでした。「大丈夫ですか?」と聞くと「大丈夫です」と。「お手をお貸ししましょうか」と言うと「いいです」と。どうみても「いい」とは思えない状態だったのですが、交通量もなく、危険な場所ではなかったのでひとまずその場を離れました。

もし私が同じ立場だったら・・・と思ったのです。きっと、誰にも起き上がれない自分など見て欲しくないと思うに違いないと。高齢のその男性、背丈は180センチぐらいあり端整な顔立ちをされていました。プライドを持って生きてこられた印象がありました。安易に手を貸せば自尊心を傷つけてしまいそうな感じです。誰しも認めなくない老い、それを認めざるをえない道路での転倒、起きあがれない自分。そんな姿など、たぶん誰にも見られたくなかったのではないかと思います。男性からは見えない場所で様子を窺っていました。ようやく立ち上がった男性を確認してその場を去りましたが、こういう時の援助って難しいんですよね。手を貸すということ、それはもちろん親切心からの行動ですが、相手が何を求めているのかを見誤ると「余計なおせっかい」でしかなくなってしまうことがあるんです。介護の基本というのは相手の求めには応じるけれど、余計なおせっかいはしないということなのかな。

森公美子さんと夫の介護

2012年02月08日(水)

読売新聞の朝刊に、森公美子さんのお話が掲載されていました。森さんといえば美声と、あの笑顔と朗らかな会話が印象的ですが、2001年に結婚されて、その5年後の2006年にご主人が交通事故に遭遇。脳挫傷を負って現在車椅子の生活とかで、森さんは介護を余儀なくされているのだとか。

以下、新聞記事から転載します。

 「笑って過ごせ」亡父の教え…森 公美子さん

「1日1回は笑え」というのが、亡くなった父の口癖で、よくダジャレや小話を聞かせてくれました。一方、母は、とぼけた言動で周囲の笑いを誘う名人。そんな2人の間に生まれた私は、小さな頃から歌うことと笑うことが大好きで、そのまま大人になりました。

 6年前、夫が交通事故に遭い、車いすの生活になりました。自宅で介護するために、バリアフリーに改修。私は、ヘルパー養成の通信講座で、介護について学びました。最初のうちは頑張りすぎて、疲れ果ててしまったこともありました。公的な支援が受けられることを知り、「人に頼めることは頼んだ方がいい」ということも分かってきて、だんだんと楽になりました。今は、医療や介護の専門職をはじめ、たくさんの人が一つのチームとなって、支えてくれています。1人で抱え込むのは、介護される側にとってもつらいこと。お互いに無理するのをやめたら、優しい気持ちになれました。

 苦しい時でも、よく見れば、笑いの種はあちこちに転がっています。「1度の人生、笑って過ごせ」という父の教えをこれからも守っていきます。(読売新聞2012/2/8)

この記事の横にはとても豪快な森さんの笑顔の写真。心からの笑顔だろうとは思うのですが、知的障害児を持つ友人2人の笑顔に共通するものがあり、なんとなくその胸の内が見えたような気もしました。友人達がいつも口をそろえて言っているのは、「暗くなっていたらやっていられない」なんですね。豪快に笑い飛ばしていないと、とことん落ち込んでしまうと。

森さんのお話には2つのキーポイントがあると思います。「最初のうちは頑張りすぎて、疲れ果ててしまったこともありました。」「お互いに無理するのをやめたら、優しい気持ちになれました。」という言葉です。

森さんでさえ疲れ果ててしまったこともあったのか、優しい気持ちになれない時もあったのかと、介護をしていた人なら「そう、やっぱりあなたもなの?」と声をかけたくなるような言葉だと思いませんか。今をどう乗り越えるか・・・泣いていても、怒っていても、嘆いていても乗り越えられない介護。それなら笑って乗り越えちゃおう、そんな森さんの気持ちが伝わってくるようでした。

楽しかった思い出を胸に介護をすれば

2012年02月11日(土)

テレビを観ていてふっと思い出したことがありました。そこには色とりどりのマシュマロが映し出されていました。私は小さいころ、マシュマロと本が大好きで、父が仕事帰りにお土産としてそのどちらかをしょっちゅう買ってきてくれました。父が帰ってくる時間帯は子どもが寝ている時間でしたから、手渡しでお土産を貰うことは少なかったのですが、翌日目が覚めると枕の上にマシュマロか本が置いてあって、それをみつけては小躍りして喜んだものでした。そうかあ・・・そういう平和な日があったんだなあと、その頃のことをちょっと思い出したのです。私が喜ぶ姿を母と父が笑顔で見守っていましたっけ。

その母が老いて介護が必要になった時、私は小さい頃のことなどすっかり忘れ、母のことを敬遠するようになっていました。幸せだった昔、もしその時のことを忘れずに胸の中にしまっていたなら、きっと母に辛く当たることもなかったように思うのです。人間って、良い思い出よりも悪い思い出ばかりを引きずるといいます。親の介護を始めた時、私もご他聞にもれず、母との悪い思い出ばかりを思い出し、介護が辛くなってしまっていたのではないでしょうか。今、もし肉親を介護されている方がこれを読んでいらしたら、たったひとつだけしかなくても、楽しかった時の思い出を胸に、介護をしてさしあげてください。その時の親ごさんの笑顔を忘れないで。


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