介護の心理 | 親の介護☆泣くな騒ぐな寿司食いネエ!

カテゴリー:介護の心理

介護の心理は複雑なもの

2013年01月20日(日)

1月15日に80歳で亡くなられた映画監督の大島渚さん。1996年2月、訪英中に脳出血で倒れ、右半身と言葉が不自由になって以来、17年間妻の小山明さんが介護を続けてこられました。

今日の東京新聞には、意識が混濁している大島さんに「私のどこが好き?」と聞くと「全部」と答えたという話が掲載されていました。介護のために女優業を一切退き、介護のためだけに17年を生きてこられた。すごい・・・と思いました。なんて素晴らしい夫婦愛なんだろう、小山さんという女性は強い方なんだなとも思い、母の介護開始後すぐに根をあげた私は自分の弱さをちょっと責めたりしていました。

ところが『女性セブン』(2013年1月13日号)を読んで、人間、そうそう強いものではないのかもと。こんなことが書かれていました。

「小山さんは仕事をすべて断り、介護に専念しました。それまで女優一筋だった彼女にとっては、食事をつくるだけでも一苦労で、徐々に追い詰められるようになり、小山さん自身もうつ病を患ってしまったんです」(芸能関係者)

そして、小山さんはこう言っています。 

「正直いって無償の愛は無理なんです。見返りとはいわないけど、“ありがとう”の一言がほしい。大島は毎日、惜しみなく“ありがとう”といってくれるんです」

仕事と介護の間で苦しまれた様子が手に取るようにわかります。私も思いました、いつまで続くかわからない介護が終わった時、果たして自分に余力は残っているのかしらと。特に40代、50代から介護が始まると、「犠牲になってしまうのではないか」という気持ちが強くなってしまうのかもわかりません。

「ありがとう」というその一言が、そんな気持ちをちょっとだけ慰めてくれたのも事実でした。そして親亡き後、「ありがとう」と言ってくれた気持ちに沿えなかった自分を責めたりして。ほんと、複雑なんです、介護者の心理って。

施設の職員

2012年02月25日(土)

TBSのニュースで、デイサービスの送迎車が事故に遭遇し、88歳の女性が亡くなったという事故を見ました。

25日朝、群馬県高崎市で介護施設への送迎をしていた乗用車が交差点を右折しようとしたところ、直進してきた乗用車と衝突しました。この事故で、送迎の車に乗っていた88歳の女性が死亡しました。
 午前9時ごろ、高崎市緑町の交差点で介護施設のデイサービスの送迎をしていた乗用車が右折しようとしたところ、交差点を直進してきた乗用車と衝突しました。
 この事故で、送迎の車に乗っていた無職の○○○子さん(88)が頭などを強く打って死亡し、車を運転していた介護施設職員の女性(60)が軽いけがをしました。直進してきた車を運転していた男性にけがはありませんでした。
 警察によりますと、小鮒さんは25日、介護施設のデイサービスを利用するために施設の送迎を受けていたということです。

送迎車の事故というのは、私が実習をしていた施設でも一度経験しています(といっても私が体験したわけではないのですが・・・)。施設側の処罰は厳しく、運転していた男性職員は解雇になりました。もっとも解雇の理由は「反省をしない」という職員の姿勢に問題があったようで、確かに事故そのものは対向車のミス、職員の運転ミスではありませんでした。

この事故のニュースでちょっと「?」と思ったのは、事故そのものよりも、施設職員の年齢が60歳ということでした。社会福祉士の試験でご一緒した私の知人も、一般企業を退職した60歳から施設に勤務し、今年で8年目になります。68歳でデイサービスに従事しているというわけです。福祉施設は65歳定年というところが多いのですが、知り合いが運営している施設だったため、動けるかぎり仕事が継続できるようです。でもこれって「老々介護」?

といっても、別にそれが悪いとは思いません。若い方達のエネルギーが施設に溢れていることも良いことだとは思いますが、それなりに人生経験を積んできた方が一人でもいてくれると、施設を利用している介護者としては相談がしやすいのですよね。気持ちをわかってくれるのではないか、という安心感があります。私の場合、母が利用していた施設の職員が若い子ばかりだったので、心を打ち明けて相談するということはまったくありませんでした。誰かに心の内を話せればラクになれるのになあと、ずいぶん思ったものでした。

ユニバーサルデザイン

2012年01月13日(金)

私の友人にユニバーサルデザインというのを研究している人がいます。ユニバーサルデザインというのは、「すべての人のためのデザイン」という意味だそうで、高年齢だとか障害があるといったハンディに特化してのデザインというわけではなく、広く多くの人たちが快適にモノを使いこなせるように、あらゆる場面あらゆる道具をデザインする研究のようです。たとえば携帯電話の文字表示を見やすくするとか、小さくて押しにくいボタンを押しやすいボタンにデザインしなおすといったようなこともユニバーサルデザインというようで、友人からこ「これも、あれもユニバーサルデザインされている」と指摘されて、なるほどと思いました。

友人によると、ユニバーサルデザインの7原則というのがあって、それは環境やモノ、コミュニケーションなどすべてが含まれ、すべてこの原則に従ってデザインされることが好ましいのだそうです。というか、そういう方向性を目指してデザインするのだとか。次の7つが原則と言われているものです。

原則1:誰にでも公平に利用できること
原則2:使う上で自由度が高いこと
原則3:使い方が簡単ですぐわかること
原則4:必要な情報がすぐに理解できること
原則5:うっかりミスや危険につながらないデザインであること
原則6:無理な姿勢をとることなく,少ない力でも楽に使用できること
原則7:アクセスしやすいスペースと大きさを確保すること

身近なことでいつも思っているのですが、お風呂のお湯を入れる時の小さなボタンがものすごく小さくて押しにくいんですね。デザイン的に大きなボタンは「カッコワルイ」ということになって、たぶんこうなってしまったのだと思いますが、このデザインは力の入らない高齢者にはちょっと不便な代物です。デザインを優先するあまり「不便だけど我慢してね」というデザイナーは、弱者に対する想像力が欠如しているのかもしれません。

ユニバーサルデザインというのは結局のところ、誰にでも優しい社会を目指すということが基本になるのではないでしょうか。友人もそういう優しい心を持っている人です。

お正月に思う言葉

2012年01月03日(火)

あけましておめでとうございます・・・という言葉がなんとなく胸につかえてしまう新年の始まりです。去年のお正月も、3月11日という日が待ち構えているなどとは夢に思うこともなく、きっとたくさんの方たちがこの言葉を口にされ、新しい年を祝われていたことと思います。その方たちの多くがお正月を迎えることができませんでした。蓮如上人の言葉に「朝には紅顔なれど夕方には白骨となれる身なり」という言葉があります。人間にとって生死の別れは絶え間なく続くもので、寿命に長短はあってもいずれはかなく死んでゆくもの、だからこそ一日一日を、一時一時を大切に過ごさなければならないという諌めなのでしょう。

それは自分の生についてばかりではありません。縁あって共に暮らしてきた両親や夫婦、兄弟姉妹と永遠に会えなくなる日が来る、その日のことを思うと、「今」という時がどれほど大切なものか・・・たまらなく愛おしく感じられます。親であれ子であれ夫であれ妻であれ、日常の中でさまざまな葛藤なしに暮らすことなんてとても難しいことですよね。でも、それもまたお互いが生きている証なんだと思います。母との葛藤を抱えながら介護を続けていた私は、今になって、母とのあの時この時をしばしば思い出しては悔やんでいるのです。生きている、生きていてくれる、そのことがどれほどすばらしいことだったか。もっともっと大事にしてあげれば良かったと。

お正月早々、なんだか暗い話になってしまいましたが、今年一年、何事もなく平穏に過ぎてゆきますようにと願わずにはいられません。介護をされている方々にとりましても、どうか穏やかな日々が過ぎてゆきますように。

残存能力と介護

2011年12月01日(木)

「残存能力」という言葉を耳にされたことがあると思います。チョー簡単に言うと、障害をもっている人に残されている能力のことです。介護している人は要介護者にどんな能力が残されているかを見極め、できるかぎりその能力を使い、生かすことで生活の質を向上させるように心がける必要がありますよね。

母は最晩年はオムツを利用していましたが、今思うとそれは、母に残されていた能力を無視し、ひたすら手を抜いて介護を済ませようとしていた私のずさんな気持ちの現れでした。母はしばしば排泄の失敗をするようになりました。正直なところ、その始末をするのが面倒になっていました。また、排泄による悪臭が部屋に漂うことにも嫌悪感がありました。排泄をすること、悪臭が漂っていたことも母の生きていた証だったのに、オムツを着用させてしまったのです。今は排泄の始末にも悪臭にも悩まされていませんが、母の姿はどこにもありません。

母の能力を信じて、それを手助けすることが私の役割だったのです。私が怠け心を出さなければ、母は残された能力を必死で使い、たぶん死ぬまでオムツをする必要はなかったのではないかと思います。残存能力を生かすというのは、生活の質の向上のためだけではなく、生きようとする意志を助けるものでもあったのだと思います。「なにもできない自分」ではなく「やればできる自分」。残存能力を支えてあげることがなぜできなかったのだろうかと、悔やんでいます。


QLOOK ANALYTICS