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家族での介護が限界になった時

2014年10月05日(日)

市の介護保険課から、「介護保険を申請したばかりで、まだ認定結果が出ていないけれど、早急にデイサービスを利用したいという家族の方から相談を受けたので、対応をお願いします。」という連絡がありました。介護保険というのは「暫定」という形でですが、申請を出した日からサービスを受けることが可能です。結果が非該当になってしまったら、それまでに受けたサービスの費用は自分で負担しなければなりませんが、お会いしてみれば、非該当になってしまうか、認定されるかは大体見当がつきます。そこで、早速ご自宅を訪問してみました。

大きなお屋敷で、門には生花師範の看板が掛けられています。家の中に入るとこれまた広い。その一室に今年90歳になったお婆ちゃんが寝ていました。8月に腰椎の圧迫骨折で入院し、それ以来お風呂にも入っていないということでしたが、その割には手も顔もとてもきれいで、部屋にも尿臭ひとつ感じられません。よほどよく面倒を看られているのでしょう。お婆ちゃんへかける言葉もとても優しくて、心がほっくりしました。介護度はかなり高そう。

起き上がることが難しい様子でしたので、この状態でのデイサービス利用はちょっと難しいと思い、ホームヘルパーさんの利用などを勧めましたが、同居されている長男夫婦も、たまたま遊びに来ていたお孫さんも、乗り気ではありません。お部屋の陰になるところから、お孫さんが手招きをします。「母がもう限界なんです。ショートステイを、すぐにでも利用できるようにしてもらえませんか。父母が解放される時間を作ってあげたいんです。」と。ショートステイの手続きを至急取り、翌週から一週間の利用が決まりました。

私が訪問して一番最初に感じたのが、なんて素敵な家族なんだろうということでした。家族が助け合ってお婆ちゃんを丁寧に看ている。大きな家に住み、経済的にもいかにも恵まれている風だし、孫、ひ孫に囲まれた家族関係も良好そうでした。世の中にはこんなに恵まれた家族もいるんだなあと、普段、家族の揉め事の中で翻弄されている高齢者ばかり見ていますので、本当にうらやましく思って見ていました。

ところが・・・ショートステイ利用後、お婆ちゃんは家に帰ることもなく、そのまま有料老人ホームに入所してしまいました。限界だったんです、家族は。「もう介護はできない、したくない」と思っていたようです。仕方のないことですが、一室で言葉もなく寝ていたお婆ちゃんの、時折見せたおびえたような表情が思い出されます。感じていたのかな、家族の気持ちを。

デイサービス利用は誰のため?

2014年03月30日(日)

M子さんは93歳。とてもお元気で、週一回、近くの公民館でやっている社交ダンスのサークルにはまっています。足取りは90歳代なりですが、ご本人は結構かっこよく踊れると思っているようで、ジルバを踊った、タンゴを踊ったと自慢げに話して聞かせてくれます。家事は昔ほどはできなくなっていますが、それでもご飯を炊いたり、お味噌汁を作るぐらいのことはできるので、おかずを近くのコンビニで買ってきて、それをちょっと暖めて食べれば結構バランスのとれた食事を一人で摂ることもできます。お風呂も排泄も問題ありませんから、在宅での生活は特に問題ありません。

でも、ご家族はM子さんをデイサービスに行かせたくて仕方がありません。介護保険を申請したところ「要支援1」の認定結果がおりました。93歳という年齢を考えれば、同じことを話したり、薬の管理ができなかったり、足腰が弱っているのは当然といえば当然のこと。それなりに妥当な結果だと思います。ご家族の強い希望がありましたので、週1回のデイサービスを利用することとなりました。ご本人は「私は行かないわよ。一人でなんでもできるし、人と一緒に何時間も過ごすのなんて疲れるだけでいやよ。」と頑なに拒否していましたがなんとかデイに・・・。ところが次の週は「二度と行かない」と言って、お迎えのデイの車を返してしまいました。

デイサービスの利用にあたっては、ご本人の心身の機能低下を改善・予防することと、ご家族の介護負担の軽減という目的が考えられますが、このケースの場合、やっと子どもも独立した今、夫婦二人きりの生活をしたいという長男夫婦のたっての希望がありました。嫁さんはこの家に婚ぎ、以後かれこれ40年近く舅(4年前に死去)、姑の世話に明け暮れていました。狭い家で年がら年中顔を突き合わせていますから、気分の休まる時がなかったようです。早い話が「もう精神的にもたない、いい加減に解放してほしい」ということなのです。

ケアマネージャーはあくまでもご本人の意思を尊重し、その上で家族の介護負担について考慮するという立場にあります。このケースで言えば、ご家族の介護負担はあまりありませんし、家に閉じこもっているわけでもないM子さんですから、デイサービスの利用を勧める理由がみつかりません。強いて言えば「足腰が弱ってきているので、定期的にリハビリを兼ねて出かけましょうか」ということぐらい。でも、ご家族の気持ちも痛いほどわかります。M子さんが「週に一回ぐらいは夫婦二人きりで過ごせる日を作ってあげようかしら。足腰が弱っても大変だしね。」と思ってくれるのが一番なのですが、そんな思いは微塵もなさそうです。どこでどう折り合いをつければ、本人も家族も幸せになれるか、そのことについてゆっくり話し合っていかなければなりません。

認知症と夫婦愛

2013年12月02日(月)

家族が認知症になったらどうしましょう。ほんとうにしっかりした人だと思っていた母親が、ある日を境になんとなく混乱した様子を見せ始め、周囲のことがよくわからなくなってしまう。そうなった時の家族の反応は様々で、戸惑や苛立ちを隠せない家族、愛情で包んであげようとする家族、人任せにして知らんぷりしようとする家族など、百の家族があれば百の反応があります。どの家族にもその家族なりの歴史があり、それが今につながっていることが多いので、外からああだこうだと言うことはできません。

T子さんは82歳、ご主人は85歳。T子さん、10年ほど前から認知の症状が見えていたのですが、最近とみにその症状がひどくなり、今では夫の顔もわからなくなっていますし、自分がどこにいるのかもわかりません。ここにきて排泄物を手でコネコネしてしまったり、壁に塗りつけたりするようにもなってしまいました。誰が見ても認知症とわかる症状なのですが、夫は「T子は認知症なんかじゃない」と言い張り、自宅で一生懸命面倒をみようとしています。子供3人はそれぞれ家庭を持って遠くに住んでいますので、介護は夫が一手に引き受けているのですが、高齢でもありもう限界です。見るに見かねてケアマネージャーさんが施設入所を勧めているのですが夫は断固拒否しています。

この美しい夫婦愛はどこまで続くのでしょう。実はT子さん、昔はさぞ美人でかわいかっただろうなあという方。夫は妻のことが好きで好きで今なお愛し続けているのです。だからどうしても離れることができないし、離したくないのです。本当にうらやましい夫婦愛ですが、ケアマネージャーさんにとって、この夫の愛はちょっと厄介なものになってしまっています。妻にとって必要と思われる介護ができないでいるのです。住み慣れた家で最後まで過ごす、そのためにどうするかを考えるのがケアマネージャーの仕事だということは重々承知しているものの、T子さんの場合、夫が一人で家で介護していればいつか限界がきてしまいます。共倒れにならない前になんとかしたい・・・ケアマネージャーさんはそんな思いを胸に奮闘しています。

親子関係が良好の場合の介護

2011年06月20日(月)

きのう車で出かけた時に聞いていたFMに、城戸真亜子さんが出演されていました。城戸さんといえば武蔵野美大を出られたタレントさん。私も絵が好きで、高校時代まで油絵をちょっと描いたりしていた時期がありましたので、どんなお話が聞けるか楽しみにしていました。絵のこともたくさん話されていましたが、それ以上にお母様の介護のお話が多くてびっくりしました。もう亡くなられたそうなのですが、認知症だったお母様との生活を懐かしそうに、そして楽しそうに話されていました。

「介護というのは大変な仕事ですよね」という司会者の質問に、「ひとつも大変だと思ったことがないんですよ。私は絵を描くからなのか、母親のその日その日の仕草が絵のモチーフのように感じられ、とても新鮮だったんです。」と答えられていました。城戸さんとお母様の関係は子供のころから良好だったのでしょう。城戸さんが絵を描くことを目指したのもお母様の応援があったからだったようですし、城戸さんをとてもよく理解してくださっていたように思います。そのことを城戸さんはとても感謝しているようでした。もともとが良好な親子関係の場合、介護もたいていうまくいくのですよね。

でも、表で話されているようなきれいごとばかりの介護だったのかでしょうか・・・。介護というのは、終わってみると壮絶な闘いの日々に対する嫌悪感より、むしろ二人で紡いでいた時間が懐かしく思えたりすることがあります。私も今介護のことを考えると、母に対しての悪い思い出というのがほとんど思い浮かびません。ただただあるのは母の愛情に私が応えられなかったという、自分に対する後悔だけなのです。

ホームヘルパー2級の講座に挑戦

2011年05月25日(水)

母の介護が始まったばかりの頃、近くの病院でホームヘルパー2級の資格取得のための講座が開かれました。母は前年罹患した帯状疱疹の痛みがずっととれず、左手全体をいつも痛がっていて、ちょっと触るだけでも機嫌を損ねてしまうという状態で、母は痛みに耐えることで必死だったのでしょうが、この痛みが介護を困難なものにしていました。洋服ひとつ着替えるにしても、すんなりと腕を通すことができなかったのです。

介護技術を学びたい、その一心で受講しました。講座の内容は介護に関する講義と実技で、入浴のさせ方や食事の配慮、排泄のお世話、ベッドメイキングの方法などは受講生同士がモデルになって実践し、それ以外に、掃除や洗濯、調理といったことを実際にホームヘルパーの方たちに同行して学ぶなどしました。片手の不自由な人にどうやって洋服を着せればいいのか、これが私の一番知りたかったことでしたが、それ以外にも、寝たきりになった時の寝返りの打たせ方など、後々役立つことをずいぶん学ぶことができました。

資格を取得するとホームヘルパーとして登録し、仕事を紹介してもらうことができるのですが、私はホームヘルパーという仕事を選ぶ気持ちにはなれませんでした。ホームヘルパーの方に同行していろいろなお宅を訪ねたのですが、一対一で他人さまの家の中で介護の必要な方のお世話をするということが、私にはとても荷が重いことのように感じられました。母の介護だけでも大変でしたから、そのうえに他人さまの介護まで・・という、そんな気持ちもありました。

施設で働くこととはケタ違いに、ホームヘルパーの介護の仕事が重く感じられたのは、介護する方の家族の存在をものすごく感じたせいかもしれません。テーブルの上に無造作に置いてある菓子パンが、家族の用意していった昼食だったり、デロデロに汚れた毛布にくるまっていたり・・・。そうした状況を改善してゆくのもホームヘルパーの仕事だとは思うのですが、介護のみならず、家族とのさまざまな確執もホームヘルパーが抱えなければならないとしたら。母の介護もままならない私にはとても無理は話でした。


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