親の介護 | 親の介護☆泣くな騒ぐな寿司食いネエ!

カテゴリー:親の介護

認知症の親を在宅で介護するには

2015年01月30日(金)

最近、とみに認知症状が増してきたM子さん。最初の頃は家の周りをウロウロしている程度だったのが、そのウロウロが、次第に上半身真っ裸、胸をぶらぶらさせながら歩くようになり、みかねた近所の方から「M子さんの様子がおかしい。」という相談がありました。家を訪問したところ、玄関を開けた途端に広がる尿臭、室内の壁にはウンチを手でつけた形跡。慣れているとはいえ、さすがにびっくりしました。

家族はM子さんの実の娘と孫とひ孫の4人暮らしで、娘の夫は行方不明、孫は、新しい男性をみつけては家を飛び出し、関係が切れると家に戻ってきます。ひ孫は、孫が戻ってきた時に連れてきた子です。

訪問した日は運よく実の娘さんがいましたが、もてあましている様子がありありで、ここに至るまで、なぜどこにも相談しようとしなかったのかが不思議に思えました。家計を支えているのは娘さん一人、昼間と夜と2箇所で仕事をしているため、M子さんに問題が起きていることはわかっていても、相談する時間などほとんどなかったという事情があったようです。

結局、M子さんは介護保険を申請し、「介護2」の認定結果が出たため、週に3日、デイサービスを利用するようになりました。ところが・・・デイサービスの職員が朝迎えにいくと、家の中は空っぽということがしょっちゅう。そのたびごとに娘さんの職場に連絡し、ケアマネージャーとデイサービスの職員が家の周囲を探し回らなければならなくなりました。以前にも増して負担感を感じ始めた娘さんに、ケアマネージャーは「ロングショートステイ」という方法を教えました。今M子さんはロングの真っ最中。たぶんこのままロングショートステイを利用し、その流れで施設入所ということになると思います。

でもM子さん、施設入所というほどの状態なのでしょうか。自分の意思はきちんと話せます。徘徊といってもそれなりの目的があり、今のところ、用事が済めば(気が済めば)必ず自分の家に戻ってきます。このケース、ケアマネージャーさんが先に根をあげてしまったように思えてならないのですよね。デイサービスやショートステイ、配食サービス、ホームヘルパーなどを効率よく適切に使えば娘さんの介護負担も減り、在宅での生活も可能になるのではないでしょうか。

もちろん、介護者に我慢を強いるつもりはありませんし、施設入所は家族の介護負担を一挙に解決する方法でもあります。でも、施設入所の前に、在宅で介護するとしたらどういう方法があるのか、ケアマネージャーさんとしっかり相談をしてみることも大切なことです。その時点で、希望の施設に入所申し込みをしておけば、追い詰められることなく介護ができるかもわかりません。施設入所を「最後の切り札」として残しておくのです。

親の介護もカネ次第

2013年03月03日(日)

少し前になりますが、読売新聞にニュースキャスターの安藤優子さんが母親の介護について語られているインタビュー記事が掲載されていました。その記事がどこかにないかなあと思ってネットを探していましたら、昨年8月、『婦人公論』でも精神科医の和田秀樹さんと親の介護について対談されているんですね。その対談をちょっと批判めいて書いている記事を見つけました。対談のタイトルは「子どもにできる介護には限界があります」だったそうです。

安藤氏は認知症の母をホームに入所させようとしたのですが、嫌がる母親を見て一度は自分が引き取ることを考えたそうです。しかし、「うちに来ているお手伝いさん」が、自宅介護の厳しさを主張し反対、そこでハッと我に返り、入所を決意したとのこと。

確かにまあ、葛藤はあったと思います。思いますけど~、正直なところ「うちに来ているお手伝いさん」のくだりで、瞬間ササーッと引いてしまったプアーウーマンの筆者でした。介護においては、子どもの肉体的・精神的負担だけでなく、経済的負担も避けて通れない問題です。(中略)介護者になっても自分らしく仕事で輝ける自信はありますか。それが、実の親でなく義父母でも? 介護によって自分のキャリアや自分らしい人生をあきらめたくないならば、安藤氏のようにバリバリ稼ぐしかないかもしれません。


実は読売新聞にも「うちに来ているお手伝いさん」のくだりがありました。そして私も(自称)「プアーウーマン」さんと同じように、ササ~ッと引いてしまいました。親の介護で苦しんでいる方の中には、介護にかかる費用捻出に頭を悩ませている方がいっぱいいます。介護保険で一割負担ならいいじゃない・・・と思うかもわかりませんが、ギリギリの収入で生活している方にとっては一割でもかなりの負担になります。介護度があがればあがるほどかかる費用も大きくなってしまいます。

介護のために離職しなければならず、収入源がなくなってしまったという方もいますし、それどころか、親の年金をあてにして生活しているため、親を施設に入られたら収入源がなくなってしまうというケースもあって、その場合、親の介護にお金をかけなくないという理由で在宅介護になってしまったりします。そこで起きる虐待は深刻です。

安藤さんのように、ハッと我に返る余裕なんてない方がいっぱいいます。読売新聞には、母親が施設で描いている絵を集めて個展を開いてあげた、ということも書かれていました。私の接している介護の現場からは別世界を見ているような話でした。立派に額装されたお母様の絵を手に微笑む安藤さんを見て、(お金がすべてを解決するとは思いませんが)「そういうことなの?」と思った私。なんだかなあ・・・。

歪んだお鍋とザル

2012年02月27日(月)

我が家の台所には凹んだお鍋や、変形している金物のザルがあります。いつまでも捨てずに置いてあるのは自分を戒めるためです。お鍋が凹んだのは思い切りお鍋を床に叩きつけたから・・・金物のザルが変形しているのは、シンクのかどに思い切りザルをぶつけたから。

どれもこれも、私の苛立ちがこういう形になっているのです。母を介護している時の出口のない思い、介護でこれから先ずっと明け暮れてしまうのだろうかという不安とあせり。介護を放棄して電話さえかけてこない姉に対する怒り・・・。そんなものが渦まいていました。優しい声を母にかけながら、心の奥底で溜まってゆく滓を捨てる場所がみつからず、鍋やザルに当たっていた私。

母が「ほんとうに良くしてもらっているのよ」と姉に言っているのを聞いたとき、偽善の中に生きている自分を責めました。母はほんとうにそう思っていなかったかもしれない・・・でも、噓であってそう言っている姿を見たとき、私は自分をうんと責めました。噓をついている、私は介護なんかしたくないんだ、母がいつ死んでくれるかとそのことばかりを思っているのだと、そう誰かに大きな声で訴えたかった。

そんなことを思うなんて親不孝だと介護経験のない人たちは言うかもわかりません。そう、きっと心から親を慈しみ、介護をされている方もいるでしょう。でも私は違かったのです。歪んだお鍋とザル、毎日必ず立つ台所でこれを見るたびに「お母さんごめんね」という言葉がふと口をつきます。

楽しかった思い出を胸に介護をすれば

2012年02月11日(土)

テレビを観ていてふっと思い出したことがありました。そこには色とりどりのマシュマロが映し出されていました。私は小さいころ、マシュマロと本が大好きで、父が仕事帰りにお土産としてそのどちらかをしょっちゅう買ってきてくれました。父が帰ってくる時間帯は子どもが寝ている時間でしたから、手渡しでお土産を貰うことは少なかったのですが、翌日目が覚めると枕の上にマシュマロか本が置いてあって、それをみつけては小躍りして喜んだものでした。そうかあ・・・そういう平和な日があったんだなあと、その頃のことをちょっと思い出したのです。私が喜ぶ姿を母と父が笑顔で見守っていましたっけ。

その母が老いて介護が必要になった時、私は小さい頃のことなどすっかり忘れ、母のことを敬遠するようになっていました。幸せだった昔、もしその時のことを忘れずに胸の中にしまっていたなら、きっと母に辛く当たることもなかったように思うのです。人間って、良い思い出よりも悪い思い出ばかりを引きずるといいます。親の介護を始めた時、私もご他聞にもれず、母との悪い思い出ばかりを思い出し、介護が辛くなってしまっていたのではないでしょうか。今、もし肉親を介護されている方がこれを読んでいらしたら、たったひとつだけしかなくても、楽しかった時の思い出を胸に、介護をしてさしあげてください。その時の親ごさんの笑顔を忘れないで。

萩原葉子と介護

2012年01月20日(金)

萩原朔美さんの『死んだら何を書いてもいいわ─母・萩原葉子との百八十六日』という本を読みました。萩原葉子さんは萩原朔太郎の長女で、朔美さんは葉子さんの長男(一人息子)。萩原葉子の本は『天上の花』と『蕁麻の家』を読んでいて、ファンというより興味を持ってその行動を見ていた女性の一人でした。ギョロっとした目が朔太郎の雰囲気にそっくりで、なにかちょっと狂気に近いものを感じたりもしていました。その葉子さん、2005年に85歳で亡くなっていたんですね。

朔美さんは母親と百八十六日間同居し、介護をしていたようです。あの葉子さんでさえ介護が必要になっていたのかと思うと、老いの悲しさ、人生の虚しさを感じてなりません。この本は母親と過ごした日々の出来事を書き連ねていて、その一つ一つの言葉が私の介護の日々と重なり、辛くなって何度も本を閉じてしまいました。85歳の葉子さんと87歳の私の母・・・老いてゆくその過程もそっくりでした。ようやく最後までたどり着いた第四章「不在の感覚」の中に、メガネが合わなくなってしまった母親を連れてメガネ店まで検眼に行った、その帰り道のことが書かれています。

(店を出て)決まった道すじの途中に食堂がある。学生がよく行くような安価な店だ。母親は急に足を止めて「あそこで食べて行かない?」と言った。よく晴れた日だった。外にずっと出ている自分をもう少し楽しみたい。あるいは、狭い自分の部屋で一人で食べるよりも、食堂で見知らぬ他人と一緒に食べてみたいと思ったのだろうか。私はその時とんでもない、という感じですぐに断ってしまった。二人でウロウロしたくなかった。一刻も早く家に帰って、母親を部屋に閉じ込めたかったのだ。

(中略)この場面は何度思い返しても後悔だけである。なんであの時、一緒に食堂に入ってあげなかったのだろう。自分の都合だけしか考えない薄情な息子。めんどくさいということだけで邪険に拒絶したことが、どうにもならない自責になって、苛むのである。まさか、数ヶ月後に亡くなるなどとは思ってもみなかったのだ。

この文章・・・私の気持ちをそっくりそのまま書いているようでした。私も母に対してまったく同じようなことをしていて、だから後ろめたさとともにそのことを胸の奥にずっとしまっていました。同じような人がいたということ、私だけではなかったのかという思いが、ほんの少しですが私の気持ちを軽くしてくれたように思います。

「まさか、数ヶ月後に亡くなるなどとは思ってもみなかったのだ。」・・そう、わかっていればもっと優しくできたのにとも。


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