家族親族 | 親の介護☆泣くな騒ぐな寿司食いネエ!

カテゴリー:家族親族

親は親、子どもは子ども

2014年03月03日(月)

「○○さんのお母さんと話をすることはできますか?」ある日こんな電話が某施設からかかってきました。その施設にいた息子さんが入院し、今しがた亡くなったというのです。お母さんにその話を伝えて、葬儀のことや遺骨をどうすればよいのか聞いたい、電話をしたいというのです。お母さんは数年前から特別養護老人ホームに入所しており、認知症の上に寝たきり、電話に出ることは不可能です。内容を伝えたところで理解することもできないでしょう。息子さんは長男さんで60代半ば、次男さんもいるはずなのですが行方がわかりません。夫はとうに亡くなっています。特別養護老人ホームの相談員が某施設に事情説明のため電話をしました。

結局、息子さんは無縁仏として葬られることになりました。虚しいですね。生きるってなんだろうとそんな思いにかられました。そしてもっと思ったのが、家族ってなんだろうということです。このケースでは、結婚し、子を産み、育てきた人生が、老いた時には全部チャラになってしまって負の部分だけが際立ってしまっている。築いてきた家庭はすっかり過去の中で色褪せ、そんな事実なんてなかったかのように消え失せてしまっているのですよね。

この仕事をしていていつも思うのは、家族というのは人生の中の「仮の場」でしかないのかもしれないということです。いつか子どもたちは「一人の人間」として自分の人生を歩み始める、その日のために過ごす仮の場、そう思ったほうが気が楽なんじゃないかと、子どもが離れてしまったことを嘆き、もがき苦しむ親の姿を見ているとそう思います。自分の生も死も、結局のところ一人で背負うしかないのかなと。そのためにはもちろん若い頃から、そういう覚悟のもとで生活設計をしておく必要がありますが、人生、時に計画どおりに行かなくなることもあります。潔く生きる・・・最近はそんな言葉がいつも胸の中にあります。

母を引き取るつもりが・・・

2011年09月02日(金)

姉が遅い結婚をして2年ぐらい経った頃だったでしょうか。ようやく生活も落ち着いてきたので、母を姉が引き取っても良いという話になりました。私はその当時、母の介護の先行きが見えないことからうつ状態になり、精神科に通ったりしてとても辛い時期を過ごしていましたから、さすがにその様子を見て、これは引き取ったほうが良いと思ったのではないでしょうか。

母を引き取ってくれれば心身ともにラクになりますから、それは嬉しい申し出でしたが、なにぶんにも姉の住むマンションは母を引き取るには手狭です。しかも、姉は当時仕事をしていましたから、介護が必要な母を一人マンションに残して仕事に出かけることになります。そんなこと、絶対に無理だよなあ。母を引き取りに来るというその日まで、姉に母を託してよいのだろうか、私が介護したほうが、姉夫婦にとっても母にとっても幸せなのではないだろうかと悶々とし、迷いに迷っていました。でももし母をこのまま介護し続けたら、きっと精神的に持たなくなる・・・。

姉が母を連れに来た日は雨降りでした。私は猫が好きで家の中でも飼っているのですが、その頃どこからともなく現れた三毛猫が庭に棲みつき、追い払うこともできないまま、結局避妊手術をして外猫として飼っていました。その三毛猫が、姉の来るのを待っていたかのように、その時間だけ玄関の軒先現れ、ちょんこらと座っていたのです。猫が好きな姉はその姿を見て同情しきり、「かわいそうねえ」と言うのです。すかさず「連れて帰る?」と聞くと「いいわよ」という返事。気が変わらないうちにと、さっさとキャリーバッグに猫を入れて姉に渡しました。

姉は、母ではなく三毛猫を連れ帰ったのです。私はなんだかほっとしたような、狐につままれたような気持ちでした。とても性格の良い猫だったので、里親さんを探していたのですが、まさか姉に貰われてゆくとは。しかも母の代わりに。母はその後亡くなるまで私と生活することになりました。

私はといえば・・・神的に追い詰められつつも、結局、なんとかなってしまったのですよね。

里子の虐待事件

2011年08月22日(月)

今朝の読売新聞に、里子が虐待によって死亡してしまった事件が報じられていました。
以下、記事の抜粋です。

東京都杉並区の自宅で里子の渡辺みゆきちゃん(当時3歳)を虐待して死なせたとして声優の鈴池静容疑者(43)が傷害致死容疑で逮捕された事件で、みゆきちゃんの体には日常的に虐待を受けていたような痕跡はないことが、捜査関係者への取材でわかった。警視庁は、鈴池容疑者がみゆきちゃんと2人きりになった際、衝動的に暴行を加えた疑いが強いとみている。捜査関係者によると、みゆきちゃんの顔面や背中には新しい内出血痕があったものの、恒常的な虐待を示すような古い傷は見つからなかった。胃からは未消化の夕食が検出されており、同庁では、鈴池容疑者が暴行に及んだのは、昨年8月23日の夕食後に次女(13)が学習塾に出かけ、みゆきちゃんと自宅で2人きりになった約2時間の間だったとみている。(後略)

この記事に付随して、里子を育てることの難しさが事例としていくつか紹介されていました。里子というのは、里親を希望する人が児童保護施設などから家庭的に恵まれない子供を引き受け育てるわけですが、これは思ったより大変な人生の大仕事だと思います。私は社会福祉士という立場から、ある児童保護施設で仕事をしたことがあるのですが、正直なところ、施設の子供たちとどう接して良いの戸惑い続け、予想外の子供の行動に、自分を制御できないほどの衝動にかられることがありました。

家庭を知らない、親の愛情を知らない子供というのは、人間をそもそも信じられないのです。ですから、どれほど愛情を持って接しているつもりでも、その愛情が本物かどうかを試そうとしてみたり、頑として愛情を受け入れない拒否の姿勢を見せたりします。その時に、なぜ?どうして?なぜわからないの?なぜ信じないの?そんな気持ちが空回りしてしまうのです。

児童保護施設では生まれたばかりの赤ちゃんもいました。まだ一人歩きのできない子ども達は、大きな乳母車に乗せられみんなで一緒にお散歩にでかけます。この子達が将来幸せな家庭に恵まれますようにと、施設の門を出てゆく乳母車を見つめてはそう思っていました。時々里親候補が施設を訪れますが、子供が生めない、生まれない・・・だから子供がほしいといった動機だけでは、残念ながら、里子との関係を上手く構築してゆくことはできないのではないでしょうか。深い愛情と同時に、「所有物」としてではなく、自分とは違う一人の人間として尊重する気持ち、時に突き放すほどの冷静な心を持ち合わせていないと、親としての役割を果たしきることができないのです。

親の介護とは話題が離れてしまいましたが、母がいつも「ない子で苦労はしない」と言っていた言葉をふと思い出しています。血がつながっていてもいなくても、親と子という関係は難しいものなのでしょうね。

母との同居

2011年07月28日(木)

昨日は、私たちの家を建てようとした時の夫の両親とのゴタゴタを書きましたが、私の母に関してもスンナリとはいきませんでした。夫の両親ははっきりと「同居はしない」と宣言しましたから、それなら私の母との同居を考えてもいいかなということになり、姉にその旨を伝えました。姉はその時40代でしたが独身で、長きに渡る独身生活の理由には、母の存在が結婚話に多少なりとも影響しているように見えました。母から解放されて身軽になれば結婚もできる、そう思ったのです。

家を設計するにあたっては、母との同居をどうするかが問題になります。そこで姉に「家を建てるので、母を引き取りたいと思っている」という話をしました。姉は間髪いれずにこう言ったのです。「あなたに親の面倒を見てもらう気はない。お母さんは一生私が面倒をみます」と。それはそれは厳しい口調でした。

姉がそう言うのならと、母の部屋を特別に用意することもなく、私たちだけが暮らすための家を建てました。それから数年後、突然姉の結婚が決まりました。そして、なんと母を引き取って欲しいと言ったのです。フィアンセと家を買ったけれど、マンションで狭いから母とは暮らせないと言うのです。あれほど高らかに「あなたの世話になんてならない」と言い放ったのに、母との生活を最初から視野に入れずに家を探した姉。居場所のなくなった母は、結局私の家に転がり込むことになりました。それなら最初から母の部屋を用意したものを・・・。そういう設計にしていなかったので、私たち夫婦と母のプライベートな空間をうまく切り離すことができず、結局、母も私たちも息苦しい生活を強いられることになりました。

娘に介護される親は幸せ者?

2011年07月06日(水)

昨日(7月5日)、産経ニュースに『「要介護の母の将来を悲観」と実母を殺害 容疑で娘を逮捕』という記事がありました。45歳の会社員の男性宅で、妻である44歳の女性が実母を首を絞めて殺してしまったという内容です。要介護の母親の将来を悲観してのことだったと供述しているようですが、こういう記事を読むと、ここに至るまでの家の中の様子がなんとなく目に浮かび、心がすっかり重くなってしまいます。

娘の家で介護されている母親は恵まれている・・・そう思っている方が世間には多いようですが、私の体験から言えば、娘の家であっても母親にとっては他人(夫)の家。自分の家で介護してもらっている時とは違い、やはりかなり遠慮してしまっていたように思います。娘は娘で、どれほど理解のある優しい夫であっても、夫に対して遠慮してしまう気持ちが働きます。その心の葛藤って結構大変なんですよ。母親の存在そのものを否定したくなってしまうこともありました。なんていう娘だろうと自分をずいぶん責めましたが、やはり実母を引き取って介護していた友人にその気持ちを話すと、「私も夫と母親の間で苦しくなり、早く母がいなくなればいいのにと思うことがあった」と。すっと肩の荷が降りたような思いがしました。もちろん、ほんの一瞬であってもそう思ってしまったことに対する罪悪感、後悔はいまだに背中に重くのしかかっていますが。


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