高齢者の心理 | 親の介護☆泣くな騒ぐな寿司食いネエ!

カテゴリー:高齢者の心理

不幸を探すお婆ちゃん

2014年01月19日(日)

性格というのは生まれついてのものなのでしょうか。なんでも自分の思うとおりにならないと気がすまないわがままなお婆ちゃん、いつもイライラしているお爺ちゃん、かたや、いつもニコニコしているお婆ちゃん、冗談を言っては周囲を笑わせているお爺ちゃん・・・ほんとうに千差万別、いろいろな性格の方がいます。デイサービスや施設で職員に好かれるのはもちろん後者です。こういう方たちに共通しているのは、いつも感謝の気持ちを持って生活されていること。ちょっとしたことでも「ありがとう、悪いねえ」という言葉を口にされます。

反対に、職員が敬遠してしまうのが愚痴の多いタイプです。いつもいつも不平不満ばかり言っている方というのは、どれほどよくてしてもらっても満足できないようで、次から次に「もっともっと、こんなはずじゃない」と要求してきます。このての高齢者を敬遠するのはもちろん職員だけでありません。一番困っているのはご家族でしょう。結婚をすれば間違いなく嫁さんや婿さんを悪く言いますから同居が困難になってしまったり、さらに最悪の場合は絶縁などというケースに発展してしまうことも少なくありません。

介護が必要になった時には家族の気持ちはすっかり離れてしまっています。こんな状態になってもなお「親の面倒を見て当たり前。息子が面倒を見ないのは嫁さんの差し金だ」なんて言ったりして感情をこじれさせてしまうのですから、処置なしです。子を持つ親の幸せを感じたこともあるはずなのに、子どもを悪者にしなければ気がすまないというのはどういう心境なのでしょう。愛すればこその憎しみ?

こういう高齢者に共通しているのは、悪者は常に自分以外だということなんですね。自分は絶対に悪くないんです。そして過去の悪いことばかりを細々と思い出し、それを口にしては自分を不幸の主人公のように思い込んでしまうのです。そういう高齢者の方とお話をしていると思うことがあります。「この人はどんなに幸せな環境になっても、きっと不幸を探す名人なのだろうなあ」と。

介護は求めに応じて

2012年02月06日(月)

きのうの昼間、近くのスーパーに行った帰りのことです。スーパーの屋外駐車場に戻るためには2車線の道路を渡らなければなりません。渡ろうと思って歩道まで行くと、歩道脇の道路にかがみ込んでいる男性の姿が見えました。作業服のようなものを着ていたので、草でも取っているのだろうと思って通り過ぎようとしたのですが、よく見ると倒れているのです。杖が横に落ちていて、動かない体を必死で動かして立ち上がろうとしているところでした。「大丈夫ですか?」と聞くと「大丈夫です」と。「お手をお貸ししましょうか」と言うと「いいです」と。どうみても「いい」とは思えない状態だったのですが、交通量もなく、危険な場所ではなかったのでひとまずその場を離れました。

もし私が同じ立場だったら・・・と思ったのです。きっと、誰にも起き上がれない自分など見て欲しくないと思うに違いないと。高齢のその男性、背丈は180センチぐらいあり端整な顔立ちをされていました。プライドを持って生きてこられた印象がありました。安易に手を貸せば自尊心を傷つけてしまいそうな感じです。誰しも認めなくない老い、それを認めざるをえない道路での転倒、起きあがれない自分。そんな姿など、たぶん誰にも見られたくなかったのではないかと思います。男性からは見えない場所で様子を窺っていました。ようやく立ち上がった男性を確認してその場を去りましたが、こういう時の援助って難しいんですよね。手を貸すということ、それはもちろん親切心からの行動ですが、相手が何を求めているのかを見誤ると「余計なおせっかい」でしかなくなってしまうことがあるんです。介護の基本というのは相手の求めには応じるけれど、余計なおせっかいはしないということなのかな。

認知症の介護

2012年01月25日(水)

母は自分がどこにいるのか、時々わからなくなってしまうことがあるようでした。今まで普通に話をしていたかと思うと急に不思議そうな顔になり、家の中を見回す仕草をするのです。そういう時には必ず、自分がどこにいるのかわからなくなっているのです。私のことだけはしっかりわかるらしく、「なんであなたがここにいるの?ここはどこなの?」と聞いてきます。」そのうち、介護をバトンタッチしてもらうために姉の家に連れていくと、「ここの家、来たことがあるみたいだけれどどこからしら?」と言うようになりました。姉は「やあねえ、私の家じゃない。何回も来てるのにわからないの?」と、ちょっと苛立った言い方をしてしまうのですが、そう言われてもただ不思議そうにしているだけでした。認知症のはじまりでした。場所がわからないととても不安になるらしく、しばらくふさぎ込み、「私、頭が変になっちゃったみたい」と嘆いていました。

以前住んでいた家のお隣さんのIさんも、認知症の母親を介護していました。お母様はIさんと一緒に住んでいるのに朝になると、「どこの方かわかりませんが、ご親切にしてくださってありがとうございます」とか「どなた様でしたっけ?」と聞いてくるのだそうです。気丈な母親だったのでその変化にショックを受けたようです。ただひとつの救いは「ありがたい、ありがたい」と、何をやってもそう言って感謝してくれることで、幸せだと思ってくれているらしいこと、それだけで先行きの見えない介護もやり遂げることができたと、お母様亡き後そう話してくれました。

もし介護している方から「私はどこにいるの?」と聞かれても、「何言ってるのよ、自分の家じゃない」と言った返答は禁物です。余計に不安を与えてしまいますから、「初めて来たところだからわからないのよね。心配しなくても大丈夫よ」と言ってあげましょう。もし歩くことが可能なら、家の周りをゆっくり散歩してあげることで落ち着くことがあります。不安な気持ちに優しく寄り添ってあげたいですね。

なぜ徘徊するの?

2011年12月19日(月)

私の住む町は田舎町。農村地帯だった名残なのだと思いますが、町の真ん中にはスピーカーが設置されていて、正午を知らせる音楽や、夕方5時を知らせる音楽の他に、「振込み詐欺に注意しましょう」「空き巣が入りました」といった情報が、警察や消防署、市役所などからしょっちゅう流れてきます。最近とても多く感じられるようになったのが「行方不明者を探してください」という放送です。「80歳の女性が行方不明になっています。髪は白髪、白のブラウスに紺色のズボン、スニーカーを履いています。心当たりの方は・・・」といったもので、この放送を聞くたびに、徘徊している高齢者の姿が目に浮かんできます。

徘徊をされる方って結構多く、(実際は家にいるのですが)住み慣れた家に帰りたいという衝動が、普段はとても出ないような力でドアをこじ開けようとしたり、高いところに鍵があると椅子を持ってきて開けようとしたりします。どこから?と思うようなところから外に出てしまうので、介護者も気が休まりません。施設実習が終わった時、大学の教授が徘徊についてこう説明してくださいました。「徘徊は安全な場所を求めようとする行動なのです。安全な場所であり、信頼できる人間がいるという感触を要介護者が得られれば、ある程度、徘徊を食い止めることがも可能になります。」

そう、不安なんですよね。認知症のある方は今自分のいる場所がどこなのかがわからないわけで、自分に置き換えてみても、そういう状況に自分が置かれたらとても不安な気持ちになるだろうことは想像に難くありません。安心させてあげることというのはちょっと難しいことかもわかりませんが、なにがあっても傍にいてあげるからネ・・・という、その気持ちは不思議と伝わります。

クリスマスプレゼント

2011年12月15日(木)

もうすぐクリスマスですね。クリスマスプレゼントというのは貰う立場としてはもちろんとても嬉しいものに違いありませんが、プレゼントを差しあげる側にとってもとても楽しみなものです。これを差し上げたら喜ぶかしら、これはどうかしらといろいろなプレゼント用品を物色し、それをお相手に差し上げた時の笑顔って、最高の贈り物ですよね。

近くにある、特別養護老人ホームのクリスマス会にお手伝いに行った時のことです。入所されていたSさんは軽度の認知症の他に視覚障害があり、目がまったく見えません。部屋に入ると枕の上にプレゼントの包みが置いてあるのですが、広げた形跡がありません。プレゼント、何が入っているのでしょうね?と伺うと、「さあ、さっき○○さんが持ってきたみたいだけど、何を貰ったんだろう」と小さくつぶやきます。職員がプレゼントを置いていったらしいのです。

プレゼントを開ける楽しみを一緒に味わいたいと思い、プレゼントをSさんの手に載せ、ちょっとだけ手を沿えながらリボンをはずし、Sさん自ら包装紙を取ってもらいました。中から出てきたのはふかふかのレッグウォーマー。「なあにこれ?」と聞くので、足にはいてもらうと「長生きしているとこんな嬉しいこともあるんだね」と喜ぶSさん。包みの中から何が出てくるのかワクワク、そんな子どものような心になっていたSさん。あの時のSさんの嬉しそうな顔が、クリスマスになると思い出されます。


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