施設のこと | 親の介護☆泣くな騒ぐな寿司食いネエ!

カテゴリー:施設のこと

老人ホームの企業化と介護

2012年02月19日(日)

YOMIURI ONLINE 2012年2月14日
 兵庫県警は13日、介護付き有料老人ホーム「はぴね神戸学園都市」(神戸市西区)に勤務していた介護福祉士ら3人を、入所者女性(73)への暴行容疑で逮捕した。女性が3人からの暴行を訴えたのを受け、家族が居室に設置したビデオカメラにその模様が映っており、被害届を出していた。逮捕されたのはいずれも同施設の元職員で、介護福祉士の○○(以下略)

 3容疑者は1月2日、施設内の居室のベッドにいた女性の頬や右腕をたたくなどの暴行を加えた疑い。(中略)女性が昨年末、「(職員から)たたかれる」と訴えたため、家族が今年1月、部屋にビデオカメラを設置して、録画を始めた。その映像には、○○容疑者が女性の歯を磨きながら顔を何度もたたき、「殺すぞ」と暴言を吐いた様子が映っていた。また、○○容疑者が脚が不自由な女性にベッドからはみ出た脚を自力で戻すよう強要し、できないと、「ええと思ってるの。日本語わかる?」と罵声を浴びせる場面や、○○容疑者は携帯を操作しながら片手で女性の服を荒っぽく脱がせていた様子もあったという。

(職員の名前は伏せました。)

なんだかすごい事件ですね。「はぴね神戸学園都市」のホームページを見てみましたら、職員は懲戒解雇した旨が記されていました。このホームの経営母体は「ケアホールディングス(株)」という企業のようで、神戸だけではなく東京、横浜、九州などでケアハウスやホームを経営、かなり大きく事業展開している福祉関連企業のようでした。社長さんは、ワタミの渡辺美樹ふう美男子(って、あまり関係ないですね)。

ワタミもそうですが、介護の企業化って、どうなんでしょう。企業として大きくなることばかりが優先されることで、粗製乱造になりはしないのかという疑問が湧いてきます。大きくなればなるほど会社設立時の理念などが希薄になってしまう可能性があります。企業としての利益をどう上げるかということばかりに目先が行ってしまうからです。(たぶん→)志ある創業者の目も届かなくなり人任せになってしまうわけですから、相当優秀な人材を確保した上で管理体制をしっかり整えないと、こうした問題はこれからも起こるだろうなあという気がします。

今回の事件は、3人の介護士による入所者虐待ですが、3人もの職員が日常的に虐待を繰り返していて、そうした虐待に気がつかなかった、あるいは放置していた施設の体質って、相当劣悪なものだったのだろうと思います。福祉施設に限りませんが、企業って「類は友」だと思うのですよね。「類」の一番の大本となるのは、他ならぬ経営者・・・ということは?

施設のリクレーション

2011年11月02日(水)

今、施設のデイサービスがどういう状況かはあまりよくわからないのですが、母が行っていた頃は、施設が提供するレクリエーションのあまりのお粗末さに、がっかりしていました。「歌を歌いましょう」と言えば童謡ばかりでしたし、指先を使って何かを作りましょうというと、子供だましの工作の材料が目の前に置かれます。「今日、お母さんが作ったんですよ」と、送迎バスの職員が私に手渡してくれた工作は、あの母がここまで衰えてしまったの?という、そんな気持ちにさせられるものばかりでした。子供に返ってしまった・・・という絶望感を抱かせるものでもありました。

時々ボランティアの方がみえて、お習字を指導してくれたりということもありましたが、習字が好きだった母は、その時間がとても楽しみだったようで、施設に迎えに行った時になど、壁に貼られている自分の字を指差してはいつも自慢するのでした。

職員の頭の中には、認知症=幼稚園児という構図でもあるのでしょうか。認知症とはいえ、彼らには生きてきた長い歴史があるということを忘れてはいけません。これから育つ子供ではないのです。予算の関係でお金がかけられないということも、お粗末なレクリエーションに拍車をかけてしまっているのでしょうが、家族にとっては親はあくまでも親です、高齢者の尊厳を、そして親としての威厳を死ぬまで保っていられるような、そんな工夫をしてもらえればと、いつもいつもそう思っていました。

施設と病院の責任は?

2011年10月31日(月)

施設のショートステイを利用していた時、椅子から立ち上がろうとして転倒した母は入院を余儀なくされましたが、不運にも、それが私の大学のスクーリングの時期と重なっていました。結果的にはこの転倒が母の命を奪ったことになったのですが、その時の私は、まあ大丈夫だろうという軽い気持ちでこの事故を受け止めてしまい、母の介護をなおざりにしてスクーリングを優先させてしまったのです。社会福祉士の資格を取るため・・・それが理由だったのですから、まったく本末転倒としか言いようがありません。

すぐに母を病院に入院させる手続きを取り、もし私のいない間に退院ということになった時には、施設で介護をしてくれるという施設長自らの約束を信じて出かけてしまいました。病院では、母は夜中に私の名前を叫び続けていたそうです。そんな母を看護士たちは疎ましく思ったのか、食事も食べなければそのまま、飲まず食わずの状態でも点滴ひとつせずに放置してしまっていたのです。スクーリングから帰ってきて病院に行ってみると、母はすっかり衰弱していました。すぐに点滴をして欲しいと言ったのですが、これ以上の治療は必要ないといった対応だったのは、どこかに「面倒な患者」といった意識が看護士や医師の間にあったからなのかもわかりません。

母は日に日に衰弱してゆきます。あまりにひどい待遇に憤り(この病院は施設の紹介だったのですが、外観も病室もとても汚い病院でした)、別の病院を探そうと退院させた日、看護士も医師も、誰ひとりとして病院のエントランスに送ってくれることはなく、すでに意識が少し遠くなってぐったりとしている母を、私と夫は必死の思いで車に乗せました(意識のない人間というのはとても重いのです)。とりあえず家に連れ帰り、かかりつけの医師に来てもらい、今後在宅医療に切り替えたいという希望を伝えたのですが、「ここまで長生きしてきたのですから、もういいでしょう」と言って、その医師も積極的に治療に取り組む姿勢は見せませんでした。それから2週間ほどで母は亡くなりました。

母が亡くなった時に施設長が我が家を訪れましたが、転倒に関しての施設の、あるいは職員の責任については一切触れることはなく、謝罪の言葉の一言もありませんでした。病院と施設・・・今なら告訴を考えたかもわかりません。当時は母が人質に取られているような気持ちもあって、どんな状況であっても、感謝こそすれ、訴えようなどという気持ちにはまったくなりませんでした。

食事の介助

2011年06月22日(水)

母は晩年歯がありませんでしたが(心臓がかなり悪かったので、歯の治療は無理だと医師から言われていました。)食べるものだけは、よほど固いものでもないかぎり普通に食べることができました。好き嫌いが激しく、なぜか簡単に作れるものを敬遠するため、食事作りの手を抜くことができず、忙しい時にはそれがイライラの原因になったりもしていました。でも考えてみれば、食事というのは人間の楽しみのひとつなんですよね。体が動かなくなり、自由に出かけることもままならなくなった母の唯一の楽しみ、その楽しみにもっと応えてあげればよかったと思っています。

食事のことで思い出すのは施設での研修の時のことです。今も、施設はどこも人手不足ですが、その頃(10年ぐらい前)は今以上に施設の職員が不足していました。ですから、食事時間はてんてこ舞いでした。介助の必要な高齢者を並べ、左から順番に、ごはん、ごはん、ごはん、味噌汁、味噌汁、味噌汁・・・また戻っておかず、おかず、おかずと、一人で何人もの食事の介助をするのです。でもこれはまだましなほうでした。寝たきりの方に対しては、人間としての尊厳そのものをまったく無視していました。ごはんと味噌汁とぎょうさと酢の物という飛んでもない組み合わせであっても全部一緒に混ぜ合わせ、ぐちゃぐちゃにしたものを口の中に入れるのです。

食事に対しての意識がありませんから、当人はまったく意に介していませんが、それを良いことに平然と介助する職員に対し、また、そういう行為を許していた施設の理念の低さに、今でも怒りの気持ちが湧いてきます。もし私の母がそんなことになっていたら・・・悔しくて悔しくてたまらなかったと思います。

ユニット型の特別養護老人ホーム

2011年05月28日(土)

今日、母がお世話になっていた特別養護老人ホームが、別の場所に新しくユニット型の施設を開設したというので見学に行ってきました。高い理念を持った施設長がさらに高齢者福祉の充実を図りたいということで、ユニット型の施設を開設されたのです。

行ってみて本当におどろきました、まるでホテルのようなです。ヘタな有料老人ホームよりもずっときれいで、これなら、入所されるにしてもショートステイやデイサービスを利用するにしても、要介護者も家族の方も共に満足されるに違いないと思いました。母の時にもこれぐらいきれいな施設であれば、あれほど後ろめたい気分を味わう必要もなかったのにと、母の姿を思い出してホロリ。

後ろめたい・・・というのは変な感情かもわかりませんが、あの環境に母を預けるのは結構な覚悟が必要だったのです。母は介護度は高かったのですが、認知症についてはそれほどひどいものではありませんでしたから、環境には最後の最後まで敏感でした。ですから、劣悪な環境の部屋で過ごしていた母に申し訳なく、ついつい「後ろめたい」気持ちに苛まれてしまうのです。

一般的な施設では、3人~4人部屋でベットの間をカーテンで仕切っているだけというのが普通です。認知症が進んでいれば環境を把握することが困難ですから、ご本人たちが苦痛だとは思うことはありませんが、少しでも環境を理解することができる人にとっては、わけのわからないことをつぶやく人、オムツをあてている人、夜中に徘徊を始めるといった人たちと一緒の部屋で過ごすのは苦痛以外のなにものでもありません。「個々人の人権を無視している」・・・そんな表現がぴったりかもしれません。

それに比べて、ユニット型の施設は個室になっていますから、プライベートな空間を確保することができます。介護つきのホテルという感覚でしょうか。ただしユニット型にも問題がないわけではなく、人によっては孤独感に苛まれてしまうこともあるそうです。そのため各部屋はホールを囲むようにできていて、寂しくなったらホールに出てきて、別の入居者たちとお茶を飲んだり談笑したりすることができるように設計されています。

月々1人6万円(国民年金生活者)~15万円程度(厚生年金生活者)で入居でき、介護も食事もすべてお世話してもらえるのですから、悪徳施設を選びさえしなければ、ユニット型の施設のほうが、はるかに快適に過ごせるように思います。特にこの施設は、中庭にを眺めれば芝生の緑が目に映り、森に囲まれていてたくさんの鳥の鳴き声も聞こえてくるという立地条件。施設を都会のど真ん中に作ると生活の刺激が目や耳から入ってくるため、高齢者の方たちが生き生きしてくる・・・という報告を聞いたことがありますが、自然の中で静かに過去を思うのも決して悪くないのではないかと、そんな気がしました。


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