認知症の母の介護

孝行娘という仮面

2011年05月17日(火)

母を自宅に呼び寄せた時には、母に認知症の症状はあまり認められませんでした。ただ、その数年前に罹患した「帯状疱疹」の痛みがかなり残っていて、ちょっと触られただけでも大袈裟に痛みを訴えるということがあって、そんな時には、ただでさえ気難しい性格の母が手に負えないほど気難しくなってしまい、ハンドルがきかなくなった車が突進してくるような、そんな恐怖と不安を感じました。

痛みが始終襲ってきたためなのでしょう、周囲の話を真剣に聞くこともなくなり、会話にも参加しなくなった母を見て、周囲も私も認知症を疑うようになりました。でも、たぶんその時は、せいぜいボーダー程度だったと思います。認知症を確信するようになったのは、それから数年経ってからのことでした。姉に時間的な余裕ができたので母を預かってもらおうと姉の家に連れていったところ、「ここはどこかしら?見たことはあるようなんだけれど」と不思議そうな顔をしていたのです。何度も遊びに行っている家なのに。

重症ではなく、いわゆる「まだらボケ」のような認知症になってしまった母。まだらなだけに、正常な状態の時にはかなりの不安を抱えていたと思います。そんな母のことを以前にもまして大事にしてあげなければいけなかったのに、私は、あまり状況が理解できない、把握できないということをいいことに、福祉施設にしばしば預けるようになってしまったのです。「介護を息長く続けるためには、福祉の専門家と連携するのが一番」なんていう、自分に都合の良い言い訳を作って。

デイサービスはほぼ一日おきに利用しました。今思うと、母は行きたくなかったんだと思います。娘の家にいることへの負い目から、気持ちを奮い立たせて出かけていたのです。特別養護老人ホームというのは周知のとおり、介護が必要な方たちをお世話している施設です。肢体が不自由な方、認知症の方、中には精神疾患を持っていらっしゃる方もいます。ですから、施設に行ってどなたかと親しく世間話をするなどといったことは期待できません。母はかろうじて、施設の職員の方たちとの会話を楽しんでいたようでした。

日課は幼稚園のようで、午前中にお風呂に入り、後は折り紙を折ったり工作をしたり、時々音楽のボランティアの方などがいらっしゃるようでしたが、その時にも童謡を歌うだけでした。できあがった工作を見るたびに、母がこれまでに作り上げてきた人生を根こそぎ覆されてしまったようで、切ない気持ちでいっぱいになりました。それでも、母を全面的に自宅で介護するという気持ちにはならなかったのです。それどころか、以前にも増して母親を疎ましく思うようになっていたように思います。

それと同時に、そんな感情になってしまう自分を否定し、自己嫌悪に陥るようになりました。苦しい胸の内を誰かに話したい、聞いてもらいたいと思いましたが、でも、誰にも本当の気持ちなんて話すことはできません。きっと世間に対し「親孝行な娘」を演じていたかったのでしょう。こうして書きながらも、その時の自分の残酷さを責める気持ちが湧きあがってきます。辛いですね。


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