福祉を学ぶために母の介護を施設に任せてしまう

福祉を学ぶために介護を放棄してしまった

2011年05月22日(日)

社会福祉士の資格と取ろうと思いたち、大学の社会福祉学科の通信課程に3年次編入をしました。通信教育は職業を持っている方をはじめ、さまざまな事情から大学に通学できない方たちのために門戸が開かれています。私が入学した時にも3年だけで数千人が受講したいたように思います。卒業できるのはそのうちの1割強で、ほとんどの方が途中で挫折してしまいます。課題が多く、毎週いくつかのレポートを提出しなければなりませんから、思った以上に根性が必要なんです。

また、送られてきた教材を読み、予め与えられたテーマに沿ってレポートを書いて提出するのですが、教授陣の声を直接聞いて学べるわけではありませんし、疑問点があっても、即座に回答が得られるわけではありません。友人たちと知識や情報を交換することもできませんから、まさに孤軍奮闘、そんな孤独感から挫折してしまうことも多いという話を聞きました。私の場合はさらに、もともと社会学科という学科自体が私の専門とはかけ離れていましたから、初歩的なことから理解するのに時間がかかりました。教科書以外にどれほどの参考書を買い込んだことか!

しっかりとした成果を出すためには、とにかく時間が必要でした。そのために母の介護には最小限関わるだけになりました。デイサービスやショートステイを頻繁に利用して母をほとんど施設に預けるようになり、福祉を学ぶために目の前にある福祉をおざなりにするという本末転倒ぶり。タチの悪いことに、福祉を学べば学ぶほど、福祉サービスはどんどん利用すべきだという考えに傾いてゆき、自分の行為をひたすら正当化して母の介護から逃げるようになってしまったのです。

なんていうことをしてしまったのだろう・・・今はただただそう思っています。福祉を学ぶ時間を母のために使ったほうが、どれほど良かったことでしょう。自宅で母と向き合いながら、その老いを受け止めてあげたほうが、どれほど福祉の理念に適っていたことでしょう。私は自分の権利ばかりを主張し、母に残された人生のわずかな時間を共に過ごすそのことの大切さを、すっかり忘れてしまっていたのでした。

最後のスクーリングが控えていた夏のこと。ショートステイを利用していた母が転倒し、腰を打ったという知らせたが施設から入りました。起き上がれない状態でした。でもスクーリングに行かなければ卒業が延びてしまう・・・私は取り返しのつかない選択をしてしまったのです。


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