施設で「死にたい」とばかり言っていた女性が恋愛を・・・

生きる意欲

2011年05月24日(火)

施設で社会福祉士の資格取得のために研修をしていた時のことです。その施設に毎日毎日、自室から車椅子で出てきては職員の目の前で「死にたい、死にたい、死んでやる」と叫び続ける70歳代の女性、Tさんがいました。毎日のことでしたから、職員たちは「またか」という顔をして相手にしません。あまりに執拗なその叫びに我慢できなくなってしまったのでしょう、ある日一人の職員が「とっとと死ね!死んじゃえ!!と怒鳴り返したことがありました。もちろん、福祉に携わる者としてこの発言は許されるものではありません。

Tさんは黙り込み、目から涙がいっぱいこぼれ落ちました。職員の暴言を打ち消さなくちゃ・・・そんな思いで、あわてて彼女の傍に行きました。「死にたいなんて言わないでください。Tさんがいなくなったらとても寂しいじゃないですか。生きていてください。」そう言うと、彼女はうんうんと頷いて自室に戻って行きました。死にたい死にたいと、きっと家でも毎日言っていたのでしょう。家族はTさんを施設に入れたきり、ついぞ施設に現れることはありませんでした。家族もどう接して良いのかわからなくなってしまっていたのではないでしょうか。

老いを受け入れるということは大変なことなのかもしれません。若い人たちには想像もできないほど、死への恐怖と不安で胸が押し潰されそうになることもあるのでしょう。目の前に迫り来る「死」に、人間はどうやっても抗うことはできません。受け入れるしかないのです。でも、Tさんには無理なようでした。「死にたい」という言葉は、「生きたい」という訴えのように感じました。生きていたいから手を貸して・・・そう私には聞こえました。

それから数日して、Tさんの口から突然「死にたい」という言葉が聞かれなくなりました。Tさん、同じ施設に入所されていた男性と恋に陥ったのです。ちょっとダンディな方でした。彼をめぐる争奪戦もあったのだとか。二人とも軽い認知症状がありましたが、心はしっかりと結ばれていたようで、朝、食事が終わるやすぐに彼の待つホールへと向かうTさんは、生きていることが幸せでならないといった様子でした。

生きるということは、自分のためではなく自分を必要としてくれる人のためなのかもしれません。夫婦であれ親子であれ、恋人同士であれあるいは他人であれ、誰かが自分の存在を認め必要としている、それが生きることを支えているように思います。必要とされていない・・・そう感じた時、人は生きる意欲を失ってしまうのではないでしょうか。


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