母を亡くしたロラン・バルトの『喪の日記』を読む

『喪』ってどういうことだろう

2011年05月30日(月)

昨日、新聞の書評欄にロラン・バルトの『喪の日記』が紹介されていました。ロラン・バルトという人物にはあまり馴染みがないことと思いますが、私は大学時代、彼の書いた記号論で散々苦しんだ記憶があります。シニフィエとかシニフィアンとか、いくら説明されても理解が困難で、ゼミに出るのが苦痛になったりもしていました。そんなバルトが、母親の死の翌日から書き留めていたカードをまとめたものがこの本で、カードは330枚にものぼるそうです。

バルトの本を買ったはいいけれど、やっぱり難解~。数ページめくっただけで放置してしまうのはもったいないからと、ネットで予め内容をチェックしてみました(笑)。慶応大学の國枝孝弘准教授によれば、日記の中でバルトは、「母が生きていたときのほうが、母を失うおそれのあまり精神症にかかっていた。むしろ喪は、それゆえに神経症ではないのだ。むしろ母の死は、そうした病理を遠くへと追いやってしまったのだ」と書いていて、これはつまり、喪は神経症ではないということ、つまりつまり、喪は治癒できる対象ではなく、すなわち喪とは回復するものではないということになるのだとか。

そして、「愛していた人が死んだあとも生き続けるとは、思っていたほどその人のことを愛していなかったということだろうか」という言葉は、喪が死者への後悔の念であり、もしかしたら、自分が思っていたほど愛していなかったのかも知れないという思いは、死者への取り返しのつかない後悔になることを意味しているのだそうです。(そうです、ほんとそうなんですよね、単純に賛成です。実際の文章を読んでいないのでよくわかりませんが)

「悲しみはすり減らない」・・・喪は決して終わらない、それがこの本の結論のようです。たとえ断片的な言葉の羅列であっても難解だろうことには違いなく、どこまで理解できるかわかりませんが、読んでみることにしましょう。バルトが喪をどう受け止めていたのかとても興味があります。そして、バルトを通して私も「喪」という言葉を改めて考えてみたいと思います。


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