食材にうるさい母が生きていたら?

食べ物にわがままだった母

2011年11月17日(木)

3月11日の大震災、そして福島原発の事故。あれからすでに7ヶ月が経過しましたが、震災の傷跡はまだ生々しく、原発もいまだ終息には至っていません。それどころか放射能の汚染は日々広がり、日本中が混沌とした雰囲気に包まれてきています。もし今、母が介護を必要としながら生きていたら、精神的にどこまで耐えられただろうとふと考えることがあります。私の住んでいるのは関東北部、福島から相当離れてはいるのですが放射能の数値が結構高く、家の除染だの安全な食べ物の確保だのに奔走していて、その労力だけでも大変なものがあります。

母は食べ物の好き嫌いがとても激しく、最後には、料理をするのも嫌になってしまうというほどのわがままぶりを発揮していました。嫌いなものは一切手をつけずに残すのです。「年寄りはね、そんなに食べられないのよ」と言いながら。不自由なく食材を選べていたあの時期でさえ、母の食べるものを探すのはとても大変なことでしたから、放射能の影響を避けて食材を選ばなければならない今、もし母が生きていたらきっとパニックになっていたと思うのです。でもそれぐらいならまだまし?

母を連れて避難しなければならないということを考えれば、食べ物の苦労なんて、たいしたことではないのかもわかりません。放射能危険区域でもし母の介護をしていたら・・・そう、そういう方もたくさんいらっしゃるのですよね。わが身を守るだけでも大変な状況なのに、ほんとうに大変な思いをされていることと思います。介護者のみならず要介護者も同じでしょう。行政はしっかり手を差し伸べているのでしょうか?


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