親の介護は子供の義務なのか、犠牲なのか?

肉体の介護と精神の介護

2012年01月18日(水)

介護で疲れてしまった時には、夫を誘って近くの居酒屋さんに飲みに行ったりしていました。介護に疲れるというより、私の場合は母との同居に疲れ、姉との確執に疲れっていうところでしょうか。肉体的な疲労というのはあまり感じませんでしたが、母がいつも視界にいるということが、時々たまらなく鬱陶しくなってしまうことがあって、短時間でもいいから逃げたいという気持ちでした。

介護というと、オムツを取り替えたり食事を介助したりということばかりを思い浮かべるかもわかりませんが、それは介護のほんの一部にしかすぎません。私は、介護の最中にあって、肉体的な介護ばかりが介護ではないということに思いが至りませんでした。むしろ、母の精神的な面を、もっともっと援助する、あるいは介護することが必要だったのではないかと思います。母の心を想像する力が不足していました。

私には逃げ道があったんですよね。飲みに行ったり友人と会ったりといったように。ところが母は一人でどこに行けるわけでもありませんでしたし、テレビにも新聞にも本にも興味を示さなくなっていましたから、老いを真正面から突きつけられ、逃げ場を失って途方に暮れていたのではないかと思います。精神的にサポートしない介護は、要介護者をネグレクトしていることと同じなのではないかと思ったりします。肉体的な暴力ではなく、精神的な暴力です。でも、母の心をサポートするまでの余裕は介護をしている間はとてもなかった・・・。というのは、都合の良い言い訳?


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