母・萩原葉子を介護した朔美の本

萩原葉子と介護

2012年01月20日(金)

萩原朔美さんの『死んだら何を書いてもいいわ─母・萩原葉子との百八十六日』という本を読みました。萩原葉子さんは萩原朔太郎の長女で、朔美さんは葉子さんの長男(一人息子)。萩原葉子の本は『天上の花』と『蕁麻の家』を読んでいて、ファンというより興味を持ってその行動を見ていた女性の一人でした。ギョロっとした目が朔太郎の雰囲気にそっくりで、なにかちょっと狂気に近いものを感じたりもしていました。その葉子さん、2005年に85歳で亡くなっていたんですね。

朔美さんは母親と百八十六日間同居し、介護をしていたようです。あの葉子さんでさえ介護が必要になっていたのかと思うと、老いの悲しさ、人生の虚しさを感じてなりません。この本は母親と過ごした日々の出来事を書き連ねていて、その一つ一つの言葉が私の介護の日々と重なり、辛くなって何度も本を閉じてしまいました。85歳の葉子さんと87歳の私の母・・・老いてゆくその過程もそっくりでした。ようやく最後までたどり着いた第四章「不在の感覚」の中に、メガネが合わなくなってしまった母親を連れてメガネ店まで検眼に行った、その帰り道のことが書かれています。

(店を出て)決まった道すじの途中に食堂がある。学生がよく行くような安価な店だ。母親は急に足を止めて「あそこで食べて行かない?」と言った。よく晴れた日だった。外にずっと出ている自分をもう少し楽しみたい。あるいは、狭い自分の部屋で一人で食べるよりも、食堂で見知らぬ他人と一緒に食べてみたいと思ったのだろうか。私はその時とんでもない、という感じですぐに断ってしまった。二人でウロウロしたくなかった。一刻も早く家に帰って、母親を部屋に閉じ込めたかったのだ。

(中略)この場面は何度思い返しても後悔だけである。なんであの時、一緒に食堂に入ってあげなかったのだろう。自分の都合だけしか考えない薄情な息子。めんどくさいということだけで邪険に拒絶したことが、どうにもならない自責になって、苛むのである。まさか、数ヶ月後に亡くなるなどとは思ってもみなかったのだ。

この文章・・・私の気持ちをそっくりそのまま書いているようでした。私も母に対してまったく同じようなことをしていて、だから後ろめたさとともにそのことを胸の奥にずっとしまっていました。同じような人がいたということ、私だけではなかったのかという思いが、ほんの少しですが私の気持ちを軽くしてくれたように思います。

「まさか、数ヶ月後に亡くなるなどとは思ってもみなかったのだ。」・・そう、わかっていればもっと優しくできたのにとも。


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