転倒は施設の責任?衰弱は病院の責任?

施設と病院の責任は?

2011年10月31日(月)

施設のショートステイを利用していた時、椅子から立ち上がろうとして転倒した母は入院を余儀なくされましたが、不運にも、それが私の大学のスクーリングの時期と重なっていました。結果的にはこの転倒が母の命を奪ったことになったのですが、その時の私は、まあ大丈夫だろうという軽い気持ちでこの事故を受け止めてしまい、母の介護をなおざりにしてスクーリングを優先させてしまったのです。社会福祉士の資格を取るため・・・それが理由だったのですから、まったく本末転倒としか言いようがありません。

すぐに母を病院に入院させる手続きを取り、もし私のいない間に退院ということになった時には、施設で介護をしてくれるという施設長自らの約束を信じて出かけてしまいました。病院では、母は夜中に私の名前を叫び続けていたそうです。そんな母を看護士たちは疎ましく思ったのか、食事も食べなければそのまま、飲まず食わずの状態でも点滴ひとつせずに放置してしまっていたのです。スクーリングから帰ってきて病院に行ってみると、母はすっかり衰弱していました。すぐに点滴をして欲しいと言ったのですが、これ以上の治療は必要ないといった対応だったのは、どこかに「面倒な患者」といった意識が看護士や医師の間にあったからなのかもわかりません。

母は日に日に衰弱してゆきます。あまりにひどい待遇に憤り(この病院は施設の紹介だったのですが、外観も病室もとても汚い病院でした)、別の病院を探そうと退院させた日、看護士も医師も、誰ひとりとして病院のエントランスに送ってくれることはなく、すでに意識が少し遠くなってぐったりとしている母を、私と夫は必死の思いで車に乗せました(意識のない人間というのはとても重いのです)。とりあえず家に連れ帰り、かかりつけの医師に来てもらい、今後在宅医療に切り替えたいという希望を伝えたのですが、「ここまで長生きしてきたのですから、もういいでしょう」と言って、その医師も積極的に治療に取り組む姿勢は見せませんでした。それから2週間ほどで母は亡くなりました。

母が亡くなった時に施設長が我が家を訪れましたが、転倒に関しての施設の、あるいは職員の責任については一切触れることはなく、謝罪の言葉の一言もありませんでした。病院と施設・・・今なら告訴を考えたかもわかりません。当時は母が人質に取られているような気持ちもあって、どんな状況であっても、感謝こそすれ、訴えようなどという気持ちにはまったくなりませんでした。


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