里子を虐待してしまう里親の心理

里子の虐待事件

2011年08月22日(月)

今朝の読売新聞に、里子が虐待によって死亡してしまった事件が報じられていました。
以下、記事の抜粋です。

東京都杉並区の自宅で里子の渡辺みゆきちゃん(当時3歳)を虐待して死なせたとして声優の鈴池静容疑者(43)が傷害致死容疑で逮捕された事件で、みゆきちゃんの体には日常的に虐待を受けていたような痕跡はないことが、捜査関係者への取材でわかった。警視庁は、鈴池容疑者がみゆきちゃんと2人きりになった際、衝動的に暴行を加えた疑いが強いとみている。捜査関係者によると、みゆきちゃんの顔面や背中には新しい内出血痕があったものの、恒常的な虐待を示すような古い傷は見つからなかった。胃からは未消化の夕食が検出されており、同庁では、鈴池容疑者が暴行に及んだのは、昨年8月23日の夕食後に次女(13)が学習塾に出かけ、みゆきちゃんと自宅で2人きりになった約2時間の間だったとみている。(後略)

この記事に付随して、里子を育てることの難しさが事例としていくつか紹介されていました。里子というのは、里親を希望する人が児童保護施設などから家庭的に恵まれない子供を引き受け育てるわけですが、これは思ったより大変な人生の大仕事だと思います。私は社会福祉士という立場から、ある児童保護施設で仕事をしたことがあるのですが、正直なところ、施設の子供たちとどう接して良いの戸惑い続け、予想外の子供の行動に、自分を制御できないほどの衝動にかられることがありました。

家庭を知らない、親の愛情を知らない子供というのは、人間をそもそも信じられないのです。ですから、どれほど愛情を持って接しているつもりでも、その愛情が本物かどうかを試そうとしてみたり、頑として愛情を受け入れない拒否の姿勢を見せたりします。その時に、なぜ?どうして?なぜわからないの?なぜ信じないの?そんな気持ちが空回りしてしまうのです。

児童保護施設では生まれたばかりの赤ちゃんもいました。まだ一人歩きのできない子ども達は、大きな乳母車に乗せられみんなで一緒にお散歩にでかけます。この子達が将来幸せな家庭に恵まれますようにと、施設の門を出てゆく乳母車を見つめてはそう思っていました。時々里親候補が施設を訪れますが、子供が生めない、生まれない・・・だから子供がほしいといった動機だけでは、残念ながら、里子との関係を上手く構築してゆくことはできないのではないでしょうか。深い愛情と同時に、「所有物」としてではなく、自分とは違う一人の人間として尊重する気持ち、時に突き放すほどの冷静な心を持ち合わせていないと、親としての役割を果たしきることができないのです。

親の介護とは話題が離れてしまいましたが、母がいつも「ない子で苦労はしない」と言っていた言葉をふと思い出しています。血がつながっていてもいなくても、親と子という関係は難しいものなのでしょうね。


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